【余程の発信者あるいは情報でない限り、閲覧者の興味はリアルタイムへと移行する。】
Facebook、Twitterでのライブ配信や、Instagramの新機能ストーリー、はたまた若者の間で流行っているsnapchatしかり、SNSは動画の時代、それもリアルタイムへの関心へと移行している。
昨日開催されたエクスマ塾生限定セミナー『エレメントE』で感じたことはこんな事でした。
どうりで、って思ったのは果たしてボクだけだろうか。イイね!は付くものの、FacebookやTwitterに貼り付けたブログ記事の殆どは開かれずスルーされているんじゃないか。丁寧に編集して投稿したYouTubeだって、わざわざ観に行くのが億劫だって方、確実に増えてますよね。そんなのはアナリティクスを見れば一目瞭然です。
余程の発信者、あるいは、余程の記事や動画でなければ、閲覧される可能性は極めて低くなったと言わざるを得ない。
従来から情報は、フロー型とストック型という棲み分けがあった。フロー型とは、流れてしまう情報、リアルタイムでしか閲覧されることない情報。ストック型とは、WEB上にコンテンツとして生き続け、時間軸に関係なく閲覧される情報です。
ストック型の情報は益々閲覧されずらくなり、リアルタイムの情報だけで事足りてしまう。もし、そんな現実が本当にあるとしたら、リアルタイムでの情報配信にチカラを注ぐべき。そんな結論になるわけだ。
そして’余程”というコトバを敢えて用いたのは、SNS上、もしくは、リアルでの知名度の高さ、人気がなければ閲覧されない。オンタイムの情報、もしくは、研ぎ澄まされた情報でなければ閲覧されないという意味だとボクは認識してるからです。
ヤベーな。完全にSNSは次なる段階へと移行してんじゃねーか。ボクはマジで衝撃を受けた。
でも残念ながら、今のところコレと言った対策は思い浮かびません。誰も知らない世界なのだから当然ですよね。
もしヒントがあるとするならば、益々SNSを使い込む、24時間スマホを手放さず情報を注視する他はない。そこで自分が何を感じて、どんな事に興味を抱くのか。そして何にウザいと感じるのか。その体験を自らの情報配信に置き換える。先ずはココからかな。
そして最後に、”研ぎ澄まされた”という表現をしましたが、それは益々、人は得意なこと、好きな事でしか、仕事が出来なくなり、評価を得られなくなるということに繋がっていくのではないか。ボクはそう感じた。とことんハマり一心不乱に追求してる奴の情報が求められ成功を手にする。その資格者はプロとかアマとか、そんな境界線とは関係なく、好きか嫌いかという感情だけ。
好きなことを仕事にする。益々そこに価値が見出される時代になっていくのではないか。
確実にエクスマの時代になった。
そんなことを考えてました。
それではまた。