SNS時代だからこそ、表現の自由を謳歌しよう。
「雪国」川端康成
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
川端康成の小説『雪国』の余りにも有名な出だしの文章。ご存知の方も多いと思います。
ところが、「この後の文章が秀逸なんだよ。」師匠はボクにこう教えてくれた。その文章とは、「夜の底が白くなった。」というくだりでした。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
なんて美しく、情景が浮かんでくる文章なんだうって、そう思った。
日向宏一氏の素晴らしき作品たち
師匠の友人の個展に連れて行ってもらいました。恥ずかしながら、この歳になって初めて画廊という場に足を踏み入れた。
そこで見た画は、生の画でした。生という表現をしたのは、その画が額に入っていなかったこと。それに、触りはせずとも、剥き出しに飾られたその画からは、油絵の具の温もりを感じることができる。
その画から感じたこと、それは、エネルギーでした。その画から、明らかに圧を感じるんです。心動かされるんです。手の届く値段がつけられていたこともあるけど、欲しいな。飾りたいな。毎日眺めたいな。そう思った。
青木湖の雪景色が美しかった。
「この風景には、バッハが似合うんだ。」長野県白馬村に向かう車内で、師匠が突然そう言った。
誰にでも見覚えがある風景。雪をまとった山間の長閑な風景が、一瞬にしてドイツの美しい風景に変わったような気がした。バッハが創り出したメロディーと、楽器の美しい音色が脳内をトリップさせてしまうのだろう。
芸術とは、その表現によって、人の心を動かすものである。もし、そう定義するのであれば、表現をしているということ自体で、誰もがアーティストであるとも言える。そして、その表現が芸術と讃えられることで、時を越えて後世に受け継がれることになる。
幸いボクたちには、表現の自由、言論の自由が保障されている。そして、SNSを使って手軽に表現し、それを多くの人に届けることができる。どうせ表現するのなら、ココを目指してみたいなぁと思った。
さすがに音楽を作ることや画を描くことは難しいかもしれないけど、写真を撮ったり、文章を書くことくらいならできるわけだし。人の心を動かせるような表現を目指してみたい。
発信して、コミニュケーションを楽しむことに醍醐味があるSNSですが、もし、一通り使いこなせるようになったら、表現という楽しみ方にチャレンジされてはいかがでしょうか。
折角なので、ボクはそんな風にして時代を謳歌してみようと思う。そんなことを考えてました。それではまた。