馬鹿と呼ばれない限り素晴らしい仕事はできない。
サッカーライター宣言から4ヶ月目に突入しました。この仕事を始めてから強烈に思うことがあります。それはこの仕事を通じて出会う人全てがサッカー馬鹿だという驚愕です。その馬鹿っぷりは例外なく群を抜いている。そんな人たちにアポ取って、インタビューさせてもらって、記事を書かせてもらうわけですから、こちらとしても馬鹿でしか太刀打ちしようがありません。
好きなことを仕事にするための条件があるとしたら、馬鹿と呼ばれるくらいその事が好きかということではないだろうか。
馬鹿と呼ばれるくらい好奇心旺盛で、馬鹿と呼ばれるくらい知識に精通していて、馬鹿と呼ばれるくらい楽しそう。馬鹿同士が仕事するのですから、そりゃもう素晴らしい仕事になるわけで。その成果に酔いしれるのもまた楽しくて仕方がない。
馬鹿でなければやっていけない。いや、もっと馬鹿にならなければやっていけないのだ。
これまで出会ってきたサッカー馬鹿たちは、皆一様に輝いていた。ボクからしてみれば皆、十分過ぎるほどの成功者なのに、本人たちには一切その自覚はありません。努力を厭わず、真っしぐらに駆け抜けるその道程が輝かしいのかもしれない。
仕事に夢中な彼らにはおそらく時間感覚も、一般的な社会人とは大きく異なるのだと思う。
1日8時間やら週40時間労働やら残業手当やブラック企業やら、何だか世間では、極力仕事はしたくない、でもしっかりと保証はされたいみたいな風潮が強くないですか?そんなに仕事が嫌いなのかよ。労働者を守ろうとする姿勢は理解できるけど、「頼むからやらせてくれよ!」だいたい8時間制限なんて勝手に決めるなよ。おそらく彼らはそう感じているのではないだろうか。
好きな事が仕事に、仕事が好きなことになった瞬間から、やらされ事からやりたい事へと変わるのかもしれません。時間の経過も忘れるくらい、労を惜しまず夢中になれることがある。しかもそのことで誰かを喜ばすことができて、多くの人の役に立つのであればこれ以上のやり甲斐はありません。
極端に聞こえるかもしれませんが、もしかしたら人は好きなことだけをやっていればいいのではないかと思ったりして。嫌いなことは他人に任せたらいい。自分が苦手なことは、他の誰かの得意なことかもしれないしね。但し、好きなことを仕事にするのなら、とことんでなければ意味はない。とことん取り組まなければ、それはただの好き勝手と変わらないから。
好きを仕事にしてから、これまで様々な出会いに恵まれました。一つのご縁が新たな繋がりを紡いでくれる。それは”好き”という熱量が後押ししてるようでならない。非効率を厭わない、細部まで拘る姿勢は、テクノロジーの進化やAIが台頭する潮流の逆に向かってるかもしれない。しかし、そこにこそ人間でしか見出せない楽しさがあるのではないだろうか。
人は好きなことでしか仕事が出来なくなる。好きなことがあることは、それだけで才能があるのと同義である。そんなことを考えてました。それではまた。
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