稀有な戦歴から生まれた揺るぎない忠誠心を胸に。<ちふれASエルフェン埼玉 薊理絵選手インタビュー>
現行のプレナスなでしこリーグが始まって7年目を迎える。この僅か7年の間に二度の昇格の歓喜に湧き、二度の降格に唇を噛み締めた。エルフェンは稀有な戦歴を辿ってきたチームとして知られている。
奇しくもこの二度に渡る上下動を体験したたった一人の女子サッカー選手がいる。2007年の入団からエルフェン一筋、今年で11年目のキャリアを迎える薊(あざみ)理絵選手だ。
現在はチームの中心選手として活躍し、日本代表にも選出された経験を持つ薊選手は、エルフェンと共に歩んできた道程で何を目撃し、何を糧にチームを牽引し続けているのだろうか。彼女の一語一句に耳を傾けてみたい。
好戦的なプレースタイルの背景に、一人の選手からの影響があった。
――薊選手のプレースタイルを教えてください。
(薊) ポジションはサイドハーフ、サイドバックをやることもあります。私の得意なプレーは縦への上下運動です。初めてサイドバックを任された時は、どうして私がディフェンスという思いはありましたが、最近のサッカーは、ディフェンダーが攻撃に絡むことが多く、後方からは縦のスペースが大きく見えます。そのスペースにタイミング良く入ってクロスをあげる、シュートを打つ。逆サイドからのクロスに詰めてシュートを打つ。サイドバックでも得点するチャンスはあるし、楽しくプレーできています。
――純粋なサイド職人という印象がありますが。
(薊) 私は本当に下手くそなんですよ。トラップ一つだったり、パスだったり、とにかくミスが多くて。だから自分の持ち味って何だろうかと考えた時に、走ることしかないと感じました。そこだけは誰にも負けたくない。スピードがあると言われることもありますが、自分の中ではスピードというよりは、持久力で負けない自信があります。90分間走りきる、後半最後の方で、すごい鬼パスがきてもそれに絶対追いついてやるとか、技術の至らないところは、全部走りでカバーしようという意識でやっています。
――薊選手は、サイドの選手では考えられないほど得点力が高いですよね。出場200試合で70得点、どうしてこれほど多く得点を量産できるのでしょうか。
(薊) チームメイトにもよく言われるのですが、私の得点シーンは美しくありません。鮮やかなボレーシュートとか、遠くからロングシュートという、サッカーが上手な人が決めるような得点シーンというよりは、こぼれ球を押し込む。そういうゴールの方が多いと思います。
――ということは、とにかくゴール前まで走りきるという泥臭さが持ち味だということですね。薊選手には目指している選手はいるのでしょうか。
(薊) 以前エルフェンに在籍していた佐藤舞選手です。気迫溢れる選手でした。対人プレーでは絶対に負けない、どんな場面でも飛び込んでいく。ピッチを離れたところでも、人間的に尊敬できる方で、こういう選手になりたいなとずっと思っていました。
――サッカーに取り組む姿勢ですね。
(薊) そうですね。当時の女子サッカー界は、クラブに月謝を払って、遠征費も自己負担する。仕事をしないとサッカーが続けられないのが当たり前の環境で、佐藤選手も、一般の方と同じように仕事をして夜に練習をする。試合前日だというのに、泊まりの仕事が入っていたりして、そこから試合に直行するとか、現在の恵まれた環境では考えられないですが、それでも、誰よりも光るプレーをしていた、この人がいないとチームは成り立たない。今思い返しても大きい存在ですね。
――エルフェンに入団して11年目、もうその境地に立てたのではないでしょうか。
(薊) まだまだ全然ですね。納得いく結果を出せていないですし、お金を払ってまで応援してくれているサポーターやファンの方に本当に申し訳なくて。
――エルフェンは、なでしこリーグが始まって7年の間で2度の昇格、降格を繰り返していますが、1部リーグへのこだわりは、やはり強いですか。
(薊) 強いですね。正直なところ、自分の中では残留が目標ではありません。自分の口から言うのも恥ずかしいのですが、本気で優勝を目指しています。どうしても優勝できないとは思えなくて。サッカーは何が起こるかわからないし。個の力も大切ですが、チーム力が大きな力になると信じていて。
今シーズンは1点差の試合が多いですが、たとえ1点でも負けは負けですし、惜しかったでは到底上位進出を狙えません。最後の最後でどれだけ気持ちを出せるか、そこは技術ではなく、気持ちの弱さだと思います。その弱さを全員で補え合えたら、絶対に勝ち点を拾えるはずです。
稀有な戦歴から生まれた揺るぎない忠誠心
――チームリーダーとしての自覚を感じますね。
(薊) このチームで勝ちたいっていう強い気持ちがあります。以前はサッカーに対して甘い考えを持っていました。それを痛感したのは2013年、松田岳夫監督が来て、伊藤香菜子選手、荒川恵理子選手、山郷のぞみ選手という日本を代表する選手たちがエルフェンに入団した時のことでした。その選手たちと行動を共にすることで、自分たちの意識の低さに愕然としました。それでもチームは1部昇格を決めて、私も必死になって食らいついていきましたが、本当にレベルの差を痛感しました。
その時、私も本当に迷いました。でもやっぱり捨てられないものがありました。エルフェンにここまで育ててもらって、サッカーに対する気持ちも格段に変化した。周りはもうエルフェンはダメだという中で、なんだか燃えてきちゃうものがあったんですよね。(笑)
監督にそれを伝えた時に、キャプテンをやってくれないかと言われました。こんな状況でチームメイトも不安が大きいだろうし、自分の中でも不安はありましたが、でもここで佐藤舞選手みたいに、この人についていこうと思わせたい。ここで結果も残したいという思いで引き受けました。
――そして2015年シーズンが始まった。名将と呼ばれる監督、そして日本を代表する選手たちが一気に去ってしまった1部リーグでの戦いはいかがでしたか。
(薊) その年は、まぁ、ボロボロですよね(笑)悔しい一年にはなってしまった。そんな人生うまくいかないというか(笑)
――それでもチームは翌年、見事に1部リーグに返り咲くことができた。
(薊) はい。その時は伊藤香菜子選手がキャプテンでした。正直なところ、自分がキャプテンとして次の年も引っ張っていきたいと思っていました。それは監督にも伝えましたが、まずは伊藤選手という大きな存在があって、薊はサッカーに専念して欲しいと伝えられました。
――副キャプテンとして、チームメイトとはどんな関係性を築いていますか。
(薊) もうすごい底辺ですよ(笑)どちらかというといじられ役で。自分を年上として見てくれている人がいるのかなというくらい(笑)ピッチから離れるとそんな感じです。
――仲間の記念日をよく覚えている人だと、そんな噂を耳にしたことがあります。
(薊) そうですね、100試合出場のお祝いだったりとか、自己満足な部分もあると思いますが、喜んでもらえるのが、すごく嬉しくて。その姿を想像しながらメッセージを集めたアルバムを作ったりしていますね。
――今後の目標をお聞かせください。
(薊) 不可能はないということ。(笑)残留争いではなく、まだまだ本気で上位に食い込めると思っています。そこだけは譲れません。応援してくださるサポーターやファンの方、どんな状況でも応援してくれることが、本当に自分の中では大きい。こんな試合にお金を払うなんて、不快に思っている人も沢山いると思います。だからこそ絶対に諦めない。チーム一丸となって上目指してやっていきたいと思います。
よく「本気で勝ちたいの?」と言われることがあります。覇気が無いと。やはり自分のプレイスタイル的にもそれを言われるのが一番グサッとくる。というか、自分のプレーを試合後に映像で振り返りますが、まだまだ足りないというか、球際の迫力さ、最後までボールを追うところ。そういう所でお客さんに感動を与えたいと思っています。
――本日はお忙しい中、ありがとうございました。
薊 理絵(あざみ りえ) |
出身地:東京都東村山市
1989年1月11日生まれ ちふれASエルフェン埼玉/背番号7 ポジション:MF・DF 経歴:秋津SC→ラガッツァ東村山→埼玉平成高校→エルフェン狭山/エルフェン埼玉 日本代表:2試合出場 |
取材後記
稀有な戦歴から生まれた揺るぎない忠誠心という、頑なで強靭な精神力を彷彿させるタイトルでお届けした今回のインタビューだが、実際お会いした時の薊選手の印象は、むしろその逆であった。
インタビュー内のエピソードにある、仲間の記念日にプレゼントをするという下りがある。この話は、実のところ前回インタビューさせていただいたスフィーダ世田谷の永田選手から訊いた話をそのまま投げ掛けた質問だった。
2010年にエルフェンに1年間在籍した経歴を持つ永田選手の100試合出場を薊選手は憶えていたというから驚きだ。永田選手が言うには、薊選手は自身の200試合出場記念を分かっていなかったそうだ。自分のことを差し置いてまでも仲間の祝福ができる。薊選手はそういう選手であることをこの場でお伝えしたい。
そして11年目を迎えたエルフェンでのキャリア。どんな状況下であろうとも一筋を貫く彼女のルーツは少女時代にあった。
(薊) サッカーを始めたのは、小学校2年生の時ですね。男の子に混じってやっていました。その時たまたま一人だけ女の子がいて、その女の子が元ベレーザの松原萌選手でした。ホントに下手くそだし試合にも出られないし、ホント端の方でボール蹴っているみたいな。もう辞めたい!辞めたい!とずっと言っていたんですけど、うちの母が、やるからには3年はやりなさいという人で。
もうずっと辞めたかったんですよ。泣きながら行っていた時もあって。それでもなんとか頑張れて、ようやく5年生になった時に、よし3年経ったと思って、もう辞めようと思っていた時に、松原選手が女子チームを紹介してくれて。もうサッカーはやりたくないと思ってたのですが、体験だけでも行ってみないかって言われて、断れなくて、体験だけならと思って、行ったらハマりましたね。
――今の姿があるのは、お母さまのおかげですね。
(薊) 継続は力なりという言葉があるじゃないですか。まさしくって感じですね。始めたことに対して、まずはやってみる、楽しいと思えるまで、とことんやってみる。母から教わったことですね。
<了>
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