もはや速報はメディアの役割ではない。ライター業の未来予測
ゴールが決まる。
記録係は即座にゴールまでの導線を確認する。17番、中央3から左2へ浮き球パス、5番、左2からドリブル、中央1へグラウンダーパス、9番左足S(シュート)。12マスに分割されたピッチに、記録用語を用いてシンプルにゴールシーンを振り返る。その後すぐにウェブ上に速報が流れる。
記者たちのあまりの速業に舌を巻いた。その場で起きた出来事を素早く情報配信する、これこそがメディアたる役割である。彼らの仕事ぶりを目の当たりにして身が引き締まる。
追加点が決まった。
再び記者席にどよめきが起こる。ボクはこのタイミングを見計らっていた。得点の匂いを嗅ぎ分けていたボクは、ゴールまでの導線が目に焼き付いていた。事前に開いておいたアプリに慌てて入力する。
勝った。
日頃からSNSで鍛えているフリック入力はダテじゃない。〇〇新聞よりも、某有名雑誌よりも、ボクのツイートの方が早かったはず。
ところが、ユーザーたちにとって、ボクのツイートは速報とはならなかったようだ。
タイムライン上では、スタジアムにいるとおぼしき観戦者がとっくにツイートしているではないか。しかも鮮明な動画まで付いていて。
そのツイートには既に多くの”いいね”付いていて、多くのリプライで賑わっていた。
その瞬間ボクは悟った、メディアの役割は速報ではないと。
考えてみれば当たり前の話だ。
つい先日、ボクはバス停でバスの到着を待っていた。ところが、出発地点から二つ目のバス停にいたにもかかわらず、バスは来ない。数分の遅れならまだしも、15分経っても来る気配がない。
その時、ボクは何をしたのかというと、当然のようにTwitter上で検索をした。
どうやら電車の人身事故の影響で、振替輸送のために出発を遅らせているようだ。間も無くの到着を知ったボクはそのままバス停で待つことにした。程なくしてバスは到着した。
一般人によるSNS投稿が、速報と成り替わることは日常茶飯事である。
サッカーメディアの未来を想像してみる。
Jリーグ公式サイトで配信されているマッチレポートの中に、トラッキングデータというコンテンツがあることをご存知だろうか。
専用カメラとソフトウェアを用いて、走行距離やスプリント数(ダッシュ走行の数)などを含む、試合中の選手の動きを詳細にデータ化することが可能になった。
今後はおそらく、これらのデータを元にAI(人工知能)による同時テキスト配信が可能になり、記者による速報は無用になることが予想される。
記者だけでなく、アナリストやライター、通訳などの職業は、10年以内に確実に存在しなくなるだろう。
しかし、どうだろうか。全ての書き手が不要になるのかというと、ボクはそうはならないと予測しています。
むしろ、書き手にとっては好都合な時代になるとボクは考えている。あくまでも、無くなるのは、黒子的な業務であり、情報収集、情報編集の手間が省けるだけ。
炊飯器の登場によりスイッチひとつで飯が炊ける、洗濯機の登場で洗濯から乾燥まで人の手を借りずに自動でこなしてくれるのと、全くの同義だからである。
ということは、今後ますます、コラムニストやエッセイストによる活躍の場が拡がり、価値が高まってくるのではないだろうか。
書き手の個性が価値として認められ、書き手個人にファンがつく。どんな見解を用いて、それをどうのように表現するのか、あるいは主張するのか。
ライターが居なくなるのではなく、ライターがアーティスト化していくだけ。
やはり個性的な文章は、読んでいて面白いですし、書き手の個性に惹かれます。それが有名媒体の記者なのか、あるいは素人が書いたブログなのか。その境界線は曖昧になってきている。
プロかアマかが問題ではない、個性が価値になる。ますます個人のポテンシャルを活かせる時代になってきた。
<了>
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