本日最初の記事です。
こんにちは!かっちゃんです。
信頼されるためには、とことん相手を信用すること。誰だったかは忘れたけど、その人から教わったこの言葉だけは今でもボクの頭の中に残っています。
信用してるよ。って、カンタンに口にしてても、それは、何の弊害もないから言えるのであって、もし、そいつが自分を裏切ろうとしている、そんな疑いのある中でも、果たしてそいつのことを信用してるって言えるだろうか。
とことんとは、かなりハードルが高く、そして、苦しい。だから、信用してるよなんて軽々しく言うもんじゃない。もし本当に信用するのであれば、とことんという覚悟が必要。大きな器が必要なんだよね。
期待するのではなく、信用しなきゃいけない。親友がそう言ってたのも、はっきりと覚えている。
たとえば、部下に対して『君に期待してるよ。』って、こんなシーン、よくありますよね。この台詞の真意は当人にしかわからないことだけれど、期待してるよって、そりゃあんたの都合だろ、あんたの勝手だろって、そう思いません?勝手に期待すんなよ。ボクだったらそう思うな。
とはいえ、若かりし頃のボクは、期待されることを嬉しく思っていた。期待に応えたい!って、原動力にもなっていた。だから必死に頑張った。けど、結果は出なかった。そんなボクでも、その人はボクに仕事を依頼し続けてくれた。その人はボクのことを信用してくれる。ボクはそう思っている。
信用とは、にもかかわらずという覚悟が必要、信用するとは、相手に委ねることじゃないよね。たとえ失敗しても、その責任は相手にはない、相手を信じた自分にある。やはり、大きな器が必要なんだよね。
そして今、ボクにも10名ほどの部下がいる。部下っていうと何だか違和感があるけど、まぁ、共に歩んでくれる仲間がいるってこと。果たしてボクは、彼らを信用してるって公言できるのだろうか。そんなことをふと、考えてました。
そしたらさ、言えるんですよね。不思議と。だってもう11年やってんだよ。この数年で、ボクは勝手に、信用するということを学びました。もうちょっと早く学んでおけば良かったよ。
ボクが現場を離れてから2年、あれ?3年だったかな?人を信用せざるを得ない状況を、自らの意思でつくりました。
スタッフとの距離感を変えてみて感じたこと。それは、信用することの難しさ、距離が離れると、お互いすれ違いになりやすいから。ちょっの誤解が大きな溝を作り、いずれそれは憎しみへと変わる。コミュニケーション不足なんていう人が結構いるけど、そんなカンタンなことじゃない。
人は勝手な生き物だ。それは皆同じ。その勝手な生き物をいかに徹底的に信用できるのか。めっちゃ苦しいけど、それはボクの器の大きさの問題なんだな。それでもボクは彼らの幸せを願い続けることを止めない。ここ数年、つくづく、ボクは経営者には向いてないよなと、そう思うと同時に、常に上機嫌でいたいなと、そんな生き方を誓うのだ。