サッカー馬鹿

2017.1.14

熱量と人柄が発信者には大切【サッカーメディアの今後】

サッカーメディアの今後

サッカーメディアに限らず、メディアそのものの在り方やそこに携わる人の立場は、好む好まざるとに関わらず大きく変化する。そのことにもはや疑いの余地はない。その理由を挙げるとすれば、それは時流という一言に尽きる。

その時流の1つが、マスの凋落でありソーシャルメディア(SNS)の台頭である。マスメディアの影響力が落ち、それとたち代わるようにSNSが台頭した。ここでいう影響力とは、「誰を信用するのか?」という意味だ。マスメディアの情報よりもSNS上の個人が発信する情報の方が信頼性が高いということ。

例えば、テレビCMでキムタクがカローラフィールダーをカッコよく乗りこなしているシーンがある。そのCMを観た視聴者は、果たしてその車を欲しいと思うだろうか。一昔前ならば思っていたかもしれない。けど今はどうだろうか。そもそもキムタクがカローラフィールダーを好きなわけがないと思うだろうし、それよりも高級車を乗り回していた車好きの友人が突然カローラフィールダーに乗り換えた。その友人が語るカローラフィールダーの魅力の方に耳を貸すのではないだろうか。マスの情報よりも友人や知人の情報の方がはるかに信頼性が高いのだ。

スマホの普及によりSNSの浸透に拍車がかかった。スマホユーザーにとってSNSはもはやインフラである。新しいアプリを取得する際にTwitterFacebookなどSNSのアカウント名を求められるなどSNSはスマホとの親和性が高い。それに電車内で新聞や雑誌を読んでいる人を見かけなくなったその全ての理由がスマホにあると言っても過言ではない。SNSがマス媒体にとって代わるのと同時に、スマホは貴重な時間までも奪ってしまうのだ。

さらに追い討ちをかけるように登場したのがAI(人工知能)である。近い将来、AIが確実に奪うであろう人間の仕事の中に、ライターという職種が含まれるからだ。キーワードを指定するだけで必要な情報を集めて自動的に記事を生成してくれる。まるで人間が書いたかのような表現に富む記事を生み出すAIの導入は、正確性や効率化を劇的に高めることになるだろう。

しかし、どんなにAIが書く記事が秀逸だとしても、その記事には決して表れることがない大切な2つの要素がある。それは書き手の情熱と人柄ではないだろうか。情熱とは非効率を厭わない執拗さ熱量であり、人柄とはその人ならではの感性であり解釈である。メディアの主役はもはや場ではない、個人へとシフトする。そしてより個性的であることが求められる。万人から受け入れられる情報発信にとどまらず、たとえその主張が100人中90人に受け入れられなかったとしても、少数派のアンチテーゼからの熱狂的な支持を獲得すること。個性的なコンテンツが独自の文化を創造し、熱狂的なサポーター自らがコミュニティーを形成する。サブカル的な立ち位置でコアサポーターとのつながりを大切にする。これが今後、益々サッカーメディアが輝きを放つための唯一の方法なのかもしれない。

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