「こんなブログを書き続けて、果たして意味はあるのか。」ボクは度々、自問自答する。
ブログを書き始めてから7年、もうかれこれ3000記事ほど書き続けてきた。ある時ふと思った。この中で再投稿しても遜色ない記事はどのくらいあるだろうかと。おそらく300記事にも満たないのではないか、ボクにはこんな雑感がある。ということは、残念ながら残しておいても仕方がない記事は9割にも上るということになる。
どうせ書くのなら、保存版に値するくらいの良記事を書き残したい。ボクはどうしてもこのような色気に悩まされてしまう。継続的に発信することは、熱心な読者を生み出すためにも意義深い。但し、記事質を高めることもまた大義ではないかと、そう思うわけです。
ブログの立ち位置が変わってきた。
記事質を高めるために、先ず認識しておいた方がいいこと、それはブログという媒体の立ち位置が変化しているということ。ボクが書き始めた7年前と現在とでは、ブログにまつわる環境は激変しています。
7年前、ボクは1日3記事ブログを投稿していました。当然、読み返すのが恥ずかしいほどの内容だということは言うまでもありません。当時はTwitterもFacebookも盛んではありませんでしたので、振り返ると、ブログはSNSの代用品でした。
読者との接触回数を増やし、交流を深めて好きになってもらうこと。ブログはファンづくりには欠かせない数少ないツールとして重宝されていました。似たような立ち位置にメルマガというものがありますが、交流なき発信に果たして意味はあるのかと当時は思ったものです。
いずれにしてもSNSの台頭によりブログの立ち位置は変わった。これは発信頻度よりも記事質に重きが置かれたとボクは解釈する。
記事質を高める意識を持つ
SNSはブログを拡散するためのものである。かつてはこう解釈されていました。先ずはしっかりとブログを書くこと。その記事を多くの人に届けるためにSNS上にシェアする。これは今でも十分に通用する活用法ではあるが、肝心の記事質が高くなくては全くもって意味がない。
瞬く間に巨大化したSNS、その圧倒的な機能性を前に、たじろいでしまうブロガーも多いのではないでしょうか。この程度の内容ならばブログでなくともSNSで十分だよねと。
SNSで獲得したコアなファンに対して、より深く、より楽しんでもらえる内容でなければ意味がないし、プロフェッショナルとして役立つ情報を届けたいのであれば、ネット上に飛び交うお役立ち情報とは異なるエッジの効いた自論を展開しなくてはなりません。
継続的かつ質の高い記事を届けること。もはやブログというよりは、ウェブマガジンのような立ち位置を意識することが大切ではないかと、ボクはそう思うようになった。
ブログはプロツールへと進化した。
ファンをとことん楽しませ続けること。ありふれたお役立ち情報から、世の中を驚かせるような問題提起や自論を展開する。発信者としてより高いステージへと誘ってくれる。ブログはプロツールへと変化した。
だからこそ試行錯誤は尽きないし、継続は益々容易ではなくなった。厳しいようですが、それだけ可能性に満ちているということでもある。激変の時代を駆け抜けるために、ブログの活用について再考すべきタイミングが訪れた。おちおちしては居られない。
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