コンサル

2017.11.6

逃げも隠れもしない、自信に満ち溢れていることが大事〜SNS上の振る舞いについて〜

逃げも隠れもしない、自信に満ち溢れていることが大事

4、5年前に、『持論と自論は違う』という記事を書いたことがあります。まぁ言葉遊びのつもりで気楽に書かせていただいた記事でしたが、結構大切なことなんじゃないかという考えは今も変わらない。

持論とは、既に存在している他の誰かの考えの引用であり、自論とは、自身の体験から導き出した意見。その違いは、自分の言葉なのかどうかということ。

さらに付け加えると、自論である以上、その意見の反響に対して、逃げも隠れもしないこと。自信に満ち溢れていることが大事。

「こう思う。」という意見の裏側には、「こうは思わない。」という意見が必ず対峙する。逃げも隠れもしないという意味は、反対意見、あるいは、誹謗中傷をしっかりと受け止めること。

そして堂々と構えていること。だからボクは、たとえSNS上であろうと、必ず本名を名乗ります。匿名で批判したり、ましてや裏垢で攻撃をするなどという卑怯な真似はしない。

でも自由なんですよ。本名でなければいけないルールなどないわけだし、何らかの事情があるのかもしれないのだから。ボクが大切にしているのは姿勢です。誠意です。

自論を語るからには覚悟が必要ですし、持論を語るのであれば、引用元への敬意を表すべきだと思うのです。

それにわざわざ反応していただいているのですから、人格批判ならまだしも、たとえ反発だとしても関心を持ってくれていることは有難いことなのですから。

だからボクは、批判のツイートにも「いいね」を押します。火に油を注ぐような返し方もしない。もし、ボクの意見によって不快な思いをさせてしまったのであれば謝りたいと思っています。

とはいえ、自信に満ち溢れているのですから、取り下げることもしない。あっさりと取り下げるくらいの意見なら、いっそはじめから言わないほうがいい。それくらいの覚悟をもってのこと。それは反対意見も同様です。

SNS上では人間性が露わになります。実際に会うと良い人なのに、SNS上では意地悪なんだよね、もしそう感じるのであれば、その人は意地悪なんです。そういう側面を持っているということです。だからこそ気をつけたいものです。向き合う姿勢と敬意を払うことは、誰にだってできることなのですから。

誰もが声高に意見を主張できる。コレはとっても素晴らしいことです。個人がメディアになる、個人の発信がマスメディアを凌駕することだって日常茶飯事です。

一個人が影響力を持つ時代だからこそ発信には細心の注意を払いたいものですね。

一つの発信が、誰かの役に立つかもしれない、あるいは、誰かを喜ばせるかもしれない、もしかしたら誰かを勇気づけるかもしれない。

反省の意を込めて、改めて発信の意義を認識しておこう。

〈了〉

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