サッカー馬鹿

2017.12.3

サポーターに学ぶ ”応援流儀” そこに愛はあるのか。

サポーターに学ぶ ”応援流儀” そこに愛はあるのか。

自分が好きでやっていることなのに、いつのまにか見返りを求めてしまう。どうして見てくれないのか。どうして感謝してくれないのか、どうして評価してくれないのかと。

以前こんな話を聞いたことがある。通勤時に、いつも同じ車両に乗り合わせている女性を好きになった。彼はその女性に告白しようと考え、駅に向かう通り道で待ち伏せをする事にした。当然、彼はふられてしまうことになる。

忙しない通勤時間帯に、突然、口も聞いたことない男性から告白されてしまう。迷惑甚だしい話です。彼は自分の想いを伝えることで精一杯だった、その女性の都合など一切考えずに。

その行為は利他的なのか、あるいは利己的なのか。その分別は自身の胸中にあるはずなのに。

プレゼントをあげたら、ありがとうございますと喜んでくれた。そりゃ、そう言いますよね、普通。果たして受け取った当人は本当に喜んでいるだろうか。その答えは相手の心中に委ねられてしまう。

知らない男性から唐突に口紅をプレゼントされた。満員電車で帰宅しなければいけないのに大きな花束をプレゼントされた。自分の顔が描かれているケーキをプレゼントされた。

よほど気心が知れた仲間からのプレゼントならともかく、あまり親交のない人からのプレゼントだとしたら、作り笑いを浮かべる他ない。

サプライズも同様ですよね。それをされて嬉しいかどうか。やっている本人が楽しいだけでは本末転倒です。もちろんサプライズが好きな人もいます。そういう人が相手ならば盛大に演出してあげれば良い。

果たしてその行為は親切なのか、あるいはお節介なのか。その境界線はされた側の心中に敷かれています。

お気に入りの居酒屋さんがある。そのお店のお料理やお酒、サービスが大好きで、店主さんのことも応援している。そうだ!このお店を流行らせるために沢山のお客さんを送り込もう。

そう思った彼は、大勢を引き連れて宴会の予約をした。宴会は盛り上がりお店の売上には貢献できたかもしれない、その反面、お店は本来の雰囲気を損ね、お馴染みさんたちは顔をしかめてしまった。

ボクにもお気に入りのお店があります。そのお店は少しだけ高級で、とっても美味しいお料理を提供してくれる割烹料理店です。お店の方々も愛想が良くいつも親切に対応してくれます。

ボクにとってこのお店は、人に教えたくないお店でもある。ますます予約が取りづらくなってしまうから。趣味嗜好の合うごく一部の友人だけにこっそりと教えてあげるくらいです。当然、お店の雰囲気に似つかわしくない人にはお勧めしない。

自らも楽しみつつ、相手への配慮も忘れない。これがボクの”応援流儀”です。

相手の立場に立って、当事者さながらに行動する。率先的に支援するという応援スタイルもあれば、相手の思考を快く受け止め、賛同者として自らも楽しむという応援スタイルもある。

サッカークラブにはサポーターと呼ばれる応援のプロがいます。スタジアムのゴール裏から声援を送り選手を勇気づける、そういった積極的なサポーターもいれば、メインスタンドに静かに腰掛け、シーズンチケットを片手に足繁く応援に駆けつけるサポーターもいる。クラブにとってはどちらも愛すべきサポーターであるはず。

その傍ら、不甲斐なく敗れたチームに激怒し、チームバスを囲い込み、社長を出せ!謝罪しろ!とわめき散らすサポーターもいれば、個人的な感情を優先して身勝手な秩序を守ろうと排他的な主張を掲げるサポーターもいる。彼らのクラブ愛は本物だろうか。

今季からボクはサッカージャーナリストとして男女、カテゴリーを問わず様々なクラブの取材を行ってきた。取材に応じていただくクラブには最大限のリスペクトを込めてインタビューに臨んでいる。なぜなら登壇してくださる全ての方が正々堂々と膝を付き合わせてくれるからです。

その方々には様々な背景があります。当然、絶好調の選手、監督とは限りません。再起を誓う選手もいれば、戦績不振に喘ぐ監督もいる。苦しい状況にもかかわらず公の場に立つ。その勇気は敬意に値します。

ボクにとって執筆は応援です。その記事を通じて一人でも多くの方に知っていただき興味を持ってもらうこと。そして願わくばその記事をきっかけにスタジアムに足を運んでいただき声援を送って欲しい。

応援する人と応援される人の間には、互いをリスペクトし合う関係性が存在します。どちらか一方が敬意を放棄すれば応援は成立しない。

この一年、様々なシュチュエーションにおけるサポーターの姿を目の当たりにしてきた。旭日旗掲出問題やナチス酷似旗掲出問題をはじめスタジアムでの破壊行動などが取り上げられる一方で、愛溢れるサポーターの振る舞いに心温まるシーンにも数多く出会うことができた。

“サポーターとはこうあるべきだ”そういった視野の狭さが軋轢(あつれき)を生んでしまう要因になっているようでならない。応援スタイルは各々に委ねてもいいのではないだろうか。問題はその先の相手が見えているかどうか。そこに愛があるかではないだろうか。

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