タグ付けするのなら、タグ付けされた人が喜ぶ投稿をしよう。コレ基本。
つい先日、面白いフェイスブック投稿を見かけた。どうやらお誕生日のお祝いのメッセージらしい。そのメッセージには1枚の画像が添えられていました。その画像にはメッセージを差し出した本人と誕生日を迎えた女性、他に複数の人たちが写っていました。
思わず笑ってしまったのは、誕生日をお祝いされている女性の顔です。だって目開いてないんですもん。(笑)たぶん、というか間違いなく投稿した女性は自分のことしか考えてないんでしょうね。だから自分が良く写ってる写真を投稿したのでしょう。
こういうのって案外好きです。あまりに人間臭いというか、可愛げあって何だか微笑ましくすら感じます。ただ、コレが男性が投稿した画像だとしたら話は別です。喜ばせる相手が誰なのか?そのくらいのデリカシーくらいは持ち合わせて欲しいものです。
タグ付けするのなら、タグ付けさせてもらった人を喜ばせるべきでしょ?
特に相手が女性なら、その人が可愛く見えるように配慮してあげたらいいと思うんですよね。例えば、自分が前に出るとか。自分の顔をデカく写しとけばいいじゃん。(短パン社長がそう言っていたのを思い出した。)その人が思わずリツイート(シェア)したくなってしまうような、そういう画像にすべきだと思う。
テキストも同様ですよね。自己アピールに終始せず、自分を下げてでも、その人を喜ばせた方がいい。というより、結果的にその方があなたの価値は高まるに決まっています。
画像はもちろんですが、テキストにも書き手の人柄が滲み出ます。あ、この人はコーヒを運んでくれた店員さんに、ぶっきら棒な態度をとる人だろうなとか、「ありがとう!」と笑顔を返せる人なのだろうなとか。これがまた当たってるから面白い。
だから表現にも細心の注意を払うべきです。例えば自分のことを「俺」と呼ぶのか。それとも「僕」と呼ぶのか。「僕」にしたって「ぼく」と「ボク」とでは印象が変わりますし、「わて」とか「オイラ」とか「小生」「自分」なんてのもある。女性なら「私」や「わたし」、「あたい」とかね。
文体にも人柄が表れますよね。というより文体をどう操るのか。それが人柄ではないでしょうか。等身大が相応しいとは限りません。可愛く見せるのも、カッコつけるのも、それだってその人らしさですから。
だってデビュー当初の浜崎あゆみは鼻声だったでしょ?のりぴー語だって、こりん星だって笑えたじゃないですか。(若い子には分からないよね。)自分が楽しめて、他人を喜ばせることが出来るのなら、それが正解です。
ただですね、それすら意識しないで、ジジ臭い堅い文章で綴ってみたり、偉そうな雰囲気を醸し出ていたとしたら、損じゃないですか。
少し話はズレてしまいましたが、どう表現するのか、誰を喜ばせるのか。それが無意識に行える人は魅力的だということです。
それにしても前述した誕生日のお祝いメッセージと、そこに添付されていた写真のギャップに笑いました。願わくばコレがウケ狙いであって欲しいな。
〈了〉
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