似たようなことを言われてるのに、なぜ「なるほど!」と腑に落ちるのと、なぜ「お前が言うなよ!」とハナニツクのか?
それは「持論」なのか、それとも「自論」なのか?その違いではないだろうか。
持論と自論。ウィキペディアでは同義語とされている2つの言葉ですが、ボクはこの2つを使い分けます。
持論とは、既に存在している誰かの考え方。
自論とは、自らの体験から導き出した考え方。
つまり、持論とは、他人の考え方をあたかも自分が考えたかのように語ることです。だから伝わらない。
とはいえ全てが自論である必要もありません。持論を引き合いに自分の意見を述べる。これも立派な自論です。
例えば、あるノウハウがあるとします。そのノウハウを、ただコピーアンドペーストしただけでは、あなたが語ってることにはなりません。
そのノウハウを活用してみて、どんな体験を手に入れたのか、あるいは、どんな成果を上げたのか。自論には、その人なりの解釈が含まれます。
そしてこの解釈は、その人の立場や仕事などの、置かれている環境が大きく影響します。
▲韓国にて取材活動をするサッカージャーナリスト勝村氏?
例えばボクの場合。
年間50試合スタジアムに通い、W杯には必ず現地まで応援に駆け付けるほどの熱狂的なサポーターである。
週に一回、サッカーにまつわるコラムをパブリックなニュースサイトで掲載している、サッカージャーナリストである。
美容師歴22年、美容室経営を11年続けている実績がある。
マーケティングコンサルタントとして、年間30回以上の講演をして、エクスマ塾のサポート講師をさせていただき、自らの私塾を運営している.
同じ事柄でも、少なくともボクは4つの視点で、その事柄を見ることができます。
もし、そんな大した立場ではないとか、まだまだ一流と呼べないし、なんて謙遜してる人がいたら。それなら、立場とは別の視点で見ればいいだけのことです。
同じモノを見ても、「可愛い!」と感じる人もいれば、「カッコイイ!」と感じる人もいるし、もしかしたら、「気持ち悪りーー」と感じる人もいるかもしれない。
感じ方も人それぞれ、それをどう感じるのか?それはその人ならではの感性であり、個性なのですから。
発信には、トレーニングが必要です。最初から上手にできるはずはありません。でも、ただ闇雲に回数を重ねたからといって、上手になるものでもありません。
何のために発信するのか?もしこう聞かれたら、ボクならこう答えます。
好きになってもらうため。
だから、自分らしくでなければ意味がないのです。