サッカー馬鹿

2017.6.6

ナショナリズムを正視せよ!心地良い熱狂に身を埋めるために。『サッカーと愛国』からサッカーの愛し方を学ぶ。<清義明氏インタビュー&取材後記>

ナショナリズムを正視せよ!心地良い熱狂に身を埋めるために。『サッカーと愛国』からサッカーの愛し方を学ぶ。

話題作『サッカーと愛国』を読了した。ミズノスポーツライター賞優秀賞という輝かしい冠もさることながら、後世に語り継がれるべく良書であることに間違いはない。

稀有な歴史を辿ってきた我々日本人にとって、“愛国”という言葉は、ある意味タブーと敬遠され、口にすることすら躊躇しがちである。しかし、目を背けがちな事実と向き合うことで、新しい視点と対峙することができる。それは決してネガティブな史実を詳述するものではない。むしろサッカー観戦の醍醐味を増幅させてくれるからだ。知らなければ存在することはない世界にいざなってくれるのだ。

今回インタビューに応えていただいた本書の著者、清義明さんの言葉から感じたのは、訓示ではない。サッカーの楽しみ方に他ならない。なぜサッカーは世界中の人々から愛されているのか。なぜ人々はこれほどまでにサッカーに熱狂するのか。『サッカーと愛国』と合わせて当インタビューを読んでいただけたら幸いだ。

サッカーにおけるナショナリズムとは何か。

『サッカーと愛国』著:清義明

――サッカーと愛国、熟読させていただきました。本書では、世界中の事例、様々な観点からサッカーにまつわるナショナリズムを紐解いていますが、気になったことは、一つの結論には至ってはいないということ。見解は読者の心に委ねる、そういった結末に展開した意図はあるのでしょうか。

(清) 少しは結論を書きたかった。それには悩みがありましてね。もう少し待って、もう少し待って、という具合に色々と動いていました。そのおかげで結局、出版が一年半くらい遅れました。FCコリアが原因でした。僕はジャパニーズオンリーを批判している立場ですが、FCコリアはそれを裏返った存在です。

 

――FCコリアとは、関東リーグ所属の東京都を本拠地とした社会人チームですね。在日朝鮮人、韓国人を中心としたチームとして知られていますが。

(清) FCコリアは、在日コリアンのためのチームであり、それ以外の民族は入れないという声もあれば、もうそんな時代ではない、日本人も入れてもいいのではないかという議論はある。けれど、どのみち、あそこはコリアンオンリーのチームです。ジャパニーズオンリーではなくコリアンオンリーのチーム。それは排外主義という悪い言葉では表せませんが、やっている事は同じ。だけどそれがなんで良いことの様に見えるのか、かたや悪いことの様に感じるのかが、さっぱりわからなくて、要は、それは「ナショナリズムは何か」という疑問です。

ナショナリズムとは、良いナショナリズムと悪いナショナリズムがあるわけですね。あの本の最後で書いた『国家としてまだ完全に国際社会から承認されていないパレスチナ代表がアジアカップに初出場した。』件ですけど、あれはもはやサッカーを思いきり政治利用しているわけですよ。「民族の存在を示すために俺たちはサッカーをやっている」と言いきっているのですから。だけど、それを当事者ではない人たちが言うと、それは偏った考え方ではないかという話になってしまいます。ナショナリズムには表面裏面があって、同じものなのに、見方によって、その立場によって違う。だから僕の中で解決がつかないのです。

 

――時に熱狂を作り出し、時に排他的行動に導く。ナショナリズムは、サッカー観戦を演出する大切なファクターであると感じます。清さんが考えるナショナリズムが生み出すサッカーの醍醐味を教えてください。

(清) ナショナリズムには、いくつかのパターンがありますが、おおまかに分けると、国家に結びつきがあるナショナリズムと、国家に結びつかないナショナリズムがあります。国家に結びつかないナショナリズムとは地域主義であり、宗教や文化に結びつくことがあります。サポーターは完全に国家に結びつかないナショナリズムです。一つの旗の下に集まって共に戦う。サポーターはネイションを形成しています。その旗の下では誰でも平等というコンセプトがある。俺達がやらなければここはダメだという、異常な使命感を待っている。あれは完全にナショナリズムですね。

ヨーロッパは地域主義ですから、必ずしも国家と結びついてはいません。地域や宗教などでバラバラになっています。国家はその上にそびえ立つ原理みたいなもので、必ずしも国家に対して所属感はありません。ヨーロッパのサポーターは、彼らがそれぞれ抱いているナショナリズムを、そのままスタジアムに持ち込めるのです。そのやり方を日本は丸々パターンとして持ち込んだ。それは見よう見まねから始まったわけですけど、その面白さに病み付きになってしまいましたね。

日本のサッカー文化は、まだまだ浅いですが、たとえば、子供連れでゴール裏に来ている彼らは、もう一生マリノスなわけですよ。その子たちが育って、またその子供たちがゴール裏に訪れる。脈脈と引き継がれていき、どんどん強固になっていく。まだブレイクスルーまで時間がかかると思いますが、50年後のサッカースタジアムは、今とはまったく違うイメージになっているはずです。

ナショナリズムとサポーター文化の親和性

――本書では様々な視点からサポーター文化が描かれていますが、清さんがサポーターになる経緯を教えてください。

(清) きっかけは97年の“ジョホールバルの歓喜”あたりからでした。その頃からチケットが手に入り易くなり始めました。Jリーグがすたれ始めて、マリノスも三ツ沢球技場から横浜国際競技場(現:日産スタジアム)を使うようになり、ようやく入れるようになりました。ゴール裏のサポーターだと意識しだしたのは2000年あたりですね。

 

――どんなサポーターでしたか。

(清) 僕はもう完全にフーリガンですよ(笑)今はもう、そういう行為は許されませんが、2000年代中盤までのゴール裏は一種のヤンキー文化でしたね。地域のヤンキー文化を色濃く持った集団。その中で楽しく遊ばせてもらいました。

(※フーリガン=サッカーの試合会場で暴力的な言動行動を行う暴徒化した集団)

フットボール映画祭で上映された『ロミオとジュリエット〜フーリガンの恋〜』

――コアサポーターならではの視点ですね。(笑)清さんは、世界中のゴール裏に潜入して取材活動を行っていますが、特に印象に残ったシーンを教えてください。

(清) 世界中の変な奴らの所に入っていきますけど、まぁ、面白いですよね。マレーシア、タイ、インドネシアのサッカースタジアムは、一度は訪れた方がいい。とにかく熱狂的ですから。はじめてインドネシアを訪れたのは、2003年のACL、マリノスが対戦したペルシク・ケディリというクラブのアウェー戦でした。その時の熱狂は本当に驚きで、アジアサッカーで一番、少なくともサポーターレベルで熱いのはインドネシアだと感じましたね。

今度、インドネシアで一番熱いと言われているダービーマッチに潜入する予定ですが、インドネシアは冗談抜きで凶悪で、毎年死人が出ます。本当に抗争が酷い。僕が翻訳したインドネシアのサッカー映画『ロミオとジュリエット』という、フーリガンの抗争を扱った映画があります。その映画の最後に、“サポーターに捧げる”というエンドロールが流れるのですが、そこに出てくる人たちの名前は、亡くなった方々の名前だという。インドネシアは、マレーシアとシンガポールとサッカーでいうダービー関係にあるので、タイガーカップ(東南アジアサッカー選手権)も、物凄い熱狂ですよ。ぼろいスタジアムが満員になって、電柱にぶらさがって観ている人たちがいたりして。(笑)強烈な熱狂なので非常に面白い。

インドネシアで、どうしてそこまでサッカーが盛んなのか。理由は簡単で、オランダの植民地だったということ。そして、アジアで最初にワールドカップに出場したこと。蘭領インドネシアの頃にワールドカップに出場しています。日本とアメリカに占領された国はサッカー後進国になり、イギリスとオランダに占領された国は、サッカーに対して熱狂的になった。アジアにおける歴史的背景が関係しているのです。

旭日旗問題と日韓関係

――ナショナリズムの形成には、歩んできた歴史と深い関わりがあるということですが、先月に勃発した、ACL水原戦における、川崎フロンターレサポーターによる旭日旗掲出問題に対して、清さんはどのような見解を持たれているのでしょうか。

(清) 僕もサポーターでしたから、サポーター文化にはネガティブな部分もありますが、基本的には楽しませてもらいましたし、感謝もあるので、ネガティブな部分も含めて全然否定的ではないですね。ただ、ネガティブな部分があまりにも暴走しているところはやっぱり注意しなくてはいけない。旭日旗問題なんて、みんな軽く見てますよね。

あれを出した人間は認識不足ですよ。だけど、旭日旗には政治的メッセージはない。と抗議しても、絶対に中国でやれば暴動が起きるだろうし、そのうち東南アジアでも問題になるはず。基本的に日本が占領した国の教科書と国立歴史博物館に行けばすぐわかりますよ。それを見た彼らが政治的と受け取らないはずがない。

そうじゃないよということにもできますよ。僕も自衛隊のある町の生まれですから、どちらかというと旭日旗のデザインに馴染身がありましたし、中学高校までミリタリーマニアでしたから、わからなくもないけど、アジアに対してそれは無理がある。少なくともサッカーファンは、そういう政治的な問題はピッチの外でやってくれと、AFCはああいう処分を下したのだから外でやってくれと。旭日旗出したければ嫌韓デモでやればいい。それは自由ですから。

チャムシル・オリンピックスタジアムにて。写真:勝村大輔

 

――書籍に載っていたチャムシル・オリンピックススタジアムで行われた東アジア杯は、実はボクも現地で応援していました。当時のボクにはそのような認識はなかったので、ただただ韓国とのアウェー決戦での勝利の余韻に浸っていましたが。

(清) 本来だったらすごく楽しい試合でしたね。僕もしばらくはあんな大問題になっているとは知らなかった。まさかあの試合で旭日旗が掲出していたとは。

 

――でも、あの試合、韓国側もかなり過激でしたよね。「歴史を忘れた民族に未来はない」という横断幕にアン・ジュングン(アン・ジュングン=初代韓国総監を務めた伊東博文を暗殺し、英雄視されている。)が描かれた巨大弾幕が出てきたり。

(清) どっちもどっちですね。それに関しては、どう考えても韓国が悪いよ。

 

――でもスタジアムを一歩出ると、そんな一触即発な雰囲気など微塵もありませんでしたよね。

(清) いがみ合うどころか、基本的には両国のサポーター同士は仲良いですよ。彼ら(韓国サポーター)からよく聞くのは、日本は、昔はライバルだったけど、今はライバルじゃない。むしろ戦う相手は世界であろう。ということを彼らは言いますが、とか言いつつも、やはり日本戦になると色々と始まるわけですよ。(笑)やはり韓国という国が歩んできた歴史と関係していますよね。だけれども、世界中、隣の国同士はそういう感じですし、たとえば、アイルランドがイギリスと仲良く試合できるのかといえば、そんなのは無理ですし、サッカーにおける日韓関係はこの両国と似ていますね。

サッカーとは当然スポーツであり、ピッチの中で22人が戦うエンターテイメントですけど、僕はそれだけではなくて、サッカーを通じて、相手はどんな人間なのか。そこの国はどういう事情があって、どんな文化を形成しているのかということに興味深くて、そういうことを知っていった方がいいのではないかと思う。

 

――最後に、清さんが感じているサッカーの魅力を教えてください。

(清) こう言うと怒られてしまうかもしれませんが、サッカーはそれほど面白いスポーツではないですよ。だって90分間忍耐じゃないですか。寒い中、雨が降っていても立ちっぱなしじゃないですか。でもサッカーの面白いところは、スポーツの部分だけではなくて、文化的な広がりが相当あるところ。サッカーは世界共通言語ですからね。それを通じていろいろなことを知ることができる。特にサポーター文化に関しては他のスポーツとは明らかに違っていて、そこが楽しい。サッカーが純粋に好きな戦術系の人たちからは不評な考え方かもしれないですけどね。(笑)

世界のどこへ行っても、BARに行けばサッカーが流れていますよ。それはやはり特殊なことで、世界中で流通する商品なんて、ディズニーとサッカーとハリウッド、それにロックミュージック、他に何があるだろう。そこに流れている音楽と画面から流れているもの、そして飲み物は、世界中どこも同じです。それは強力な魔力があるからですよね。サッカーは独自な文化を生み出しているんじゃないかな。

 

――本日はお忙しい中ありがとうございました。

清義明(せい よしあき)

 『サッカーと愛国』(イーストプレス)ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞/サッカー本大賞受賞「サッカー批評」「フットボール批評」などに寄稿し、近年は社会問題などについての論評が多い。日本初のサッカー専門映画祭「ヨコハマ・フットボール映画祭」「東京国際フットボール映画祭」や、サポーターによるNPO組織「ハマトラ・横浜フットボール ネットワーク」、東日本大震災の際にサッカーサポーターの被災地支援プロジェクト「Football saves Japan」を立ち上げるなど、独自の活動でも知られる。中央大学卒業後、株式会社ナムコにて事業戦略やマーケティングを担当。その後、ウェブ業界へ。多数のスポーツサイトの企画プロデュースも手がけている。他、サッカー映画の字幕翻訳作は多数。

『サッカーと愛国』著:清義明

【取材後記】

清義明さんから教わったこと。それはジャーナリズムの在り方だった。それは取材力であり、編集力であり、そして強烈なメッセージ性。『サッカーと愛国』を読んで、その強烈なメッセージに心動かされた読者も多かったであろう。

清氏のツイッターを覗くと、名も明かさない匿名の刺客相手に見事に立ち回る勇姿を垣間見ることができる。どんなに否定的な意見だろうと、どんなに心無い意見だろうと、逃げも隠れもしない。確固たる自論を武器に真っ向対峙する勇姿は圧巻の一言に尽きる。その自信の裏付けがジャーナリストたる信念ではないだろうか。暗闇に光を当てる勇気はいささかどころの話ではない。政治介入やレイシズム。不都合な史実を紐解くことで生まれた新たな価値。それが新しいサッカーの愛し方である。

昨今、Jリーグ・サポーターによる不適切フラッグ掲出問題が勃発している。その原因の多くは認識不足であろう。そこには微塵の悪意もない。しかし、ただ知らなかっただけでは済まされないこともある。彼らのクラブ愛に偽りはない。愛し方が間違っているだけ。だからこそ『サッカーと愛国』は後世に受け継がれるべき指南書である。熱狂は人を惹きつけ、人を巻き込む。そして恍惚へと導く。熱狂こそがサッカー観戦の醍醐味ではないだろうか。心地良い熱狂に身を埋めるために。ぜひ本書を手に取ってほしい。

<了>

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