何故あの人は気持ち悪いのか。変化についていけないダサいオトナになりたくない。
プロフィール写真はこうあるべきだとか、投稿の仕方はこうあるべきだなんて。どちらかと言うとボクもそう言う側にいた人間です。
だって余りもセンスないんだもん。何故それをプロフィール写真にするんだよ、どうしてそんなポンコツな投稿するんだよ。周り見てよく考えろよ!って。性格悪ぅ~(笑)
そんなことを言い続けているとね、今度は皆んなが同じに見えてきちゃって、何だか「気持ち悪っ!?」って思えてきてしまう。
「どっちやねん!」って突っ込み入れられそうですが仕方がない。だってそう感じちゃうんですもん。
例えば、何処ぞの居酒屋さんで、「心を込めて準備中」という札を見かけた。初めこそ「おー なんか面白れ~」と思ったものの、たくさん見かけるようになると「またかよ、鬱陶しいなぁ」と感じてしまう。コレって捻くれてるってことかなぁ。
たぶん反応を気にしなくなっちゃってるんじゃないかな。時代の潮流から置いてかれてることに気づいてないんじゃないかな。その時は話題になったのかもしれないけど、既に使い古したやり方だってことに気づいていない。
そういう意味においては、SNS活用は最たるものだと思うんですよ。スピード感溢れているからね。
一旦は言われたとおりに変えてみる。基本を抑えたら型を外してみる。カッコつけを極めてみたり、面白さを追求してみたり、マジメを貫いたり。そこが”個性”でしょ?皆んな同じじゃ気持ち悪いって。
自分で言うのも憚れますが、ボクをはじめSNSを上手に活用していると言われる人たちは、そもそも真剣にSNSを学んだことはありません。どちらかと言うと遊んでました。
この方がウケるよなとか、この方が反応良いよなって。やりたい放題やってたわけじゃなく、他人の反応に敏感だったのだと思う。
例えば、変顔して自撮りするのもただ遊んでるだけ。折を見て楽しんだら良いじゃないですか。むしろ皆んなが変顔するのなら違うこと考えるし。
敢えてワンパターンを繰り返す、それも有りだし、反応に注視しておかないと直ぐに古臭くなる。おじさん、おばさん、マジメな人は特に気をつけないとね。
それに極端なのも結構気持ち悪いよね。ツイッターで反響が欲しいのなら自分からイイね!を押した方がいい。だからといって何そのイイね!の数。やり過ぎでむしろ奇妙だし。暇なのかっ!?って。
同じ関心ごとを持ってる人と絡むともっと楽しくなるよ。同じ趣味嗜好の人と繋がると楽しいじゃん。コメント貰えると嬉しいよね、だから興味湧いたら臆せずにコメントするといいよ。そういうことじゃないのかなぁ。
恥部を晒すことで愛されるようになるよ。確かにボクはそう言ったよ。だからといって恥部ばかり見せられたって気持ち悪いって。そんなドジな失敗が続くのかって。仕事のこと○割、好きなこと○割、日常を○割?そんな方程式ないし!!目安にしたらってことでしょ。
そうじゃなくて、ボクが伝えたいのは、等身大の発信を心掛けようよ。その方が人柄が滲み出て愛されるようになるからね。その方が疲れないからねって。それくらい感じ取ってくれよ。(笑)
それにしてもものすごいスピード感あるよね。SNSって。だからやり方ばかりに拘ってると、すぐに置いてかれてしまう。楽しみ方を追求しないとすぐに飽きられてしまう。
「インスタ映え」が流行語大賞に選ばれた時点でSNSはピークを迎えた。先日、師匠はこう言っていた。それはSNSが日常化するということなのか、あるいはホンモノだけが残るという意味なのか。先のことはよく分かりませんが、ハッキリしていることは、ものすごいスピードで変化しているということです。
変化を感じなきゃ。
変化を楽しまなきゃ。
<了>
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来年のスタートダッシュにいかがでしょうか。
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