サッカー馬鹿

2017.5.19

私の仕事はチーム愛を育むこと。7年間ブログを書き続ける女子サッカー選手のひたむきなサッカー愛《スフィーダ世田谷 永田真耶選手インタビュー&取材後記》

私の仕事はチーム愛を育むこと。7年間ブログを書き続ける女子サッカー選手のひたむきなサッカー愛

「商店街を歩く時は必ずこの格好なんですよ。」と無邪気に笑うその女性は、なでしこリーグ2部に所属するサッカークラブ スフィーダ世田谷に在籍する永田真耶選手である。「私が歩く広告塔なので」ユニフォームを着用する理由を彼女はこう説明してくれた。永田選手はチームの中心選手として活躍するかたわら、地域コミュニティ推進活動担当として広報活動に駆け回っているのだ。

これまでセミプロとして仕事をこなしながらサッカーに取り組む女子サッカー選手たちを、あたかも苦労話さながらに取り上げる報道を数多く目にしてきた。しかし近年は、プレー環境の整備や選手のセカンドキャリアの支援など、関係者の努力によって劇的に改善されているのも事実である。

今回インタビューに答えていただいた永田真耶選手は、今置かれている現状を決して嘆くことはない。むしろ今に感謝し毎日を楽しんでいるようだ。そんな彼女が口にする”チーム愛”という言葉がある。チーム愛を育むこと、チーム愛を広めること、これが私の仕事。

チームの人気を高めるために、女子サッカーが文化として発展するためにも、永田選手が今何を考えどんな取り組みを行っているのかを探っていきたい。まずは彼女が歩んできたサッカー人生から振り返ってみたい。

過酷な状況で培った雑草魂

――サッカーを始めたきっかけを教えてください。

(永田) サッカーを始めたのは小学校4年生からです。当時すでに兄がサッカーをやっていて、母に連れられて観にいった時、砂遊びをしているところに「一緒にやりなよ!」と言ってコーチに誘ってもらい嫌々始めました。(笑)男の子の中に交じるのが嫌でした。練習中も「誰か永田と二人組やってやれよ」みたいな感じで。浮いていたし楽しくありませんでした。そしたら隣の小学校に女子チームができて、そこに呼んでもらえるようになりました。

中学の時は、三木ドリームズというクラブチームでサッカーを続けました。その頃は、学校の部活動でバスケットボールもやっていたので、授業が終わって部活をして、その後に、練習場まで電車で一時間半ほどかけて通っていたので、帰宅時間は夜11時半を回っていました。そんな生活を3年間送っていたので、とにかくきつかった。それに遊べる時間もホントになくて。だから高校生になったらサッカーを辞めて普通の女子高生をしようと思って、一年間だけサッカーを辞めました。

部活動でバスケットボールをやりながら普通にみんなと同じような高校生活を送ろうとしたのですが、やっぱりサッカーの方が楽しいと思ったので、両親にお願いしてもう一度サッカーをやりたいと言いました。でも遠いところまで通わせてもらっていたので、交通費など、かなりの負担があることもわかっていました。だからこそ真剣に取り組んだ。そんな高校時代でしたね。

そして神奈川大学に進学しました。関東に出ようと思ったきっかけは、U-18兵庫県選抜の頃、その時の監督が「本気でサッカーが上手くなりたかったら、関東に出た方がいい」と背中を押されたこと。そして、昨年まで岡山湯郷Belleに在籍していた松岡実希選手がいたことでした。松岡選手には、兵庫時代仲良くしてもらっていた先輩でしたので、また一緒にサッカーをしたいという想いが強かったですね。

 

――当時の神奈川大学は強豪チームでしたよね。

(永田) そうですね。関東1部リーグに所属していました。そして過酷でしたね。(笑)初めは衝撃的でした。これまで上下関係をそれほど経験したことなかったので、まずはそこに慣れることから始まりました。それに多分私期待されてなかったと思います。一応、スポーツ推薦で入ったのですが、おそらく滑り込みで入れたのですね。背番号でわかるんですよ。スポーツ推薦が内定した順番で背番号が決まっているので、その中で一番大きい番号をもらったことは、本当に屈辱でした。ですので、すごく頑張れました。その時の神大(神奈川大学)は、走れる選手、戦える選手であるという部分が評価の対象でしたので、単純じゃないですか?頑張ればどうにかなるという思いがありました。

そして関東リーグが開幕して2戦目からスタメンを掴み、4年間試合に出続けることができました。対戦相手の大学は、日本代表に選ばれるような選手が多く在籍しているチームばかりでしたが、当時の神大はそういった選手はいませんでしたが、過酷なトレーニングで培った雑草魂がありましたから。誰もが期待していないような奇跡を起こすことができた。神奈川大学の歴史の中で一番の好成績を残すことができました。

大学卒業後、自分の中でやりきったという思いがあったので、数ヶ月間お休みしていたのですが、やっぱりまたサッカーがしたくなって。エルフェン狭山(現:ちふれASエルフェン埼玉)の監督に事情を説明して練習に参加させてもらい、入団させてもらいました。そこで目の当たりにしたのは、実力不足でしたね。出場機会にも恵まれず、自分の実力では1部リーグでやっていくのは厳しいと感じました。まずは試合に出ることが一番だと考え、チームを変えようと思いました。そして下のリーグに所属していたスフィーダ世田谷での挑戦が始まりました。

新たなる挑戦。そして精神的支柱へ。

――スフィーダ世田谷に入団したのは2011年でしたね。その年は、なでしこジャパンが世界一に輝いた年でもあり、女子サッカー人気が最盛期を迎えた年でもあります。新たな挑戦に相応しいタイミングでしたね。

(永田) はい。東京のチームということもあり、大きな可能性を感じましたし、実際、練習参加させてもらって、すごく魅力的なサッカーだなと思いました。

 

――スフィーダ世田谷の魅力を教えてください。

(永田) トリッキーなサッカーを目指しているチームですね。私にないものがたくさんありました。これまでは、頑張るとか走るとか、戦う姿勢を武器にしてきましたが、それだけでは戦えなかった。だからまだまだ上手くなれるのではないかと思えました。そして何よりも、携わる全ての人がチームを愛していて、もっと良くしていきたい。チームを大きくしたい、広めたいという熱意を感じました。このチームで自分も成長して、チームもどんどんレベルを上げていきたいと強く思いました。

 

――そして今シーズンで7年目を迎えました。今ではチームの中心選手として活躍されていて、ゲームキャプテンを任されることもある。リーダーとしての自覚に伴い、様々なポジションをこなす。自身のプレースタイルに変化はありましたか。

(永田) もともとはMF登録ですが、怪我による選手の離脱など、チーム状況に応じて様々なポジションをやります。現時点はサイドバックをやっていますね。シーズン前はトップ下でプレーしていました。ですので、今シーズンは始めから攻撃でいけるぞって自分の中で期待がありましたが。(笑)

 

――やっぱり攻撃の方が好きなのですね。

(永田) そうですね。もともとは攻撃の選手なので、11番ですし。(笑)でもそれは若い選手が成長している証拠でもあります。今年のチームはホントにぶれないというか、一点採られても動揺しないというか、自分達の力を信じている部分があるので、昨シーズンのレギュラー選手が抜けてしまったことで、逆にまとまりができ、みんなでやれば力が発揮できるという共通認識があります。長いリーグですので、一敗で落ち込んだりしている暇はないので、切り替えが上手くいっている。その点は強みかなと思います。

 

――キャリアを積み重ねたことで、精神的にも変化はありましたか。

(永田) プレーも安定していますし、気持ちも安定しています。いい意味で入れ込まなくなりましたね。昔だったら、ルーティンをこなさないと心配で、スムーズに試合に入れなかったりして、結構神経質でした。今ではどんな状況下でも柔軟に対応できるようになったので、何があっても動揺することなく平常心でサッカーに取り組めているという実感はあります。

 

――長きにわたりスフィーダと共に歩んできた永田選手ですが、チーム設立当初から尽力されている川邊健一監督からの影響はありますか。永田選手から見て、川邊監督はどんな方なのでしょうか。

(永田) 監督はコミュニケーションの達人ですね。コミュニケーションを取ることで、選手それぞれの長所を伸ばしてくれ、チームの調子を上げてくれる。状況に応じてコミュニケーションを使い分けているのだと思います。楽しむところは、選手と一緒になって楽しんでくれるので、そういうところから信頼関係が強くなる。とにかく熱い監督なので、チーム愛がバシバシ伝わってくる。ホントに魂ですね。(笑)

 

――これまでに永田選手が感じてきたチーム愛についてのエピソードはありますか。

(永田) 100試合出場を達成した時のことですね。私はずっと100試合を迎えたくて。昔、小学生の頃にサッカーを観にいった時に、花束をもらってセレモニーされている選手がすごくカッコ良くて。私もそうやってみんなにお祝いしてもらいたいと、ずっと目標にしていました。

チームで一番に達成できました。スタッフもチームメイトも皆それを知ってくれていたので、秘密で両親に連絡してくれていて、兵庫県から母を招待してくれていたのです。私も母にずっと連絡していたんですよ。「この試合で私100試合になるから東京遠いけど応援に来て。」とずっと連絡してるのに「ちょっとその日は用事があって行けません。」って、すごく冷たい返事が返ってきて。

試合出場が決まって、試合前にセレモニーが始まって、その時、「スペシャルゲストです!」みたいな感じで母が出てきて、もう試合の前に号泣ですよね(笑)本当にチームの温かさを感じましたし、ホントにありがたいなと思って。しかもその試合、いろんな選手が得点してくれてすごく良い勝ち方で終われたので一生心に残る試合です。

チーム愛を育む活動

――そんなチーム愛に溢れる永田選手は、現在、サッカー選手のかたわらに、広報活動に尽力されていると伺っています。具体的にどんな活動をされているのでしょうか。

(永田) 商店街にポスターを貼って頂いたり、チラシを置いてくださいというお願いをしたり。地域のイベントに積極的に参加します。サッカー教室を開いて、地域の人たちにスフィーダ世田谷を知ってもらう活動をしています。

 

――永田選手ならではの取り組みはありますか。

(永田) 今ではSNSが当たり前のように浸透していますが、監督と私を始めスフィーダの数名の選手は、7年前からほぼ毎日ブログを書いています。このチームはすごく素敵なチームなので、それをどうやって知ってもらうか。ブログやSNSで発信することでチームを知ってもらえるし、チームの良さも知ってもらえるのではないか。ずっと続けていることなので、少しずつですが、その成果を実感しています。

 

――どんな成果を実感していますか。

(永田) 「スフィーダはチームメイトの仲が良いよね」とよく声を掛けられます。ブログやSNSに書いている内容なんて、他愛のない情報なんですよ。(笑)それでも継続的に発信することで、追いかけてくれる人が増える。チームを好きになってくれる人が出てきてくれて、支えてくれる人まで現れてくれる。

 

――愚直に続けてきた7年間は本当に大きいですね。

(永田) そうですね、もう関係性が違いますね。商店街を歩いていたら、みんなが声をかけてくれますし、その方たちは、試合結果を知ってくれているのですね。それって大きいことじゃないですか。なかなか無いというか、気にしてくれていることがありがたいなと。だから私に掛けてくれる声も試合結果によっては違うんですよね。(笑)

 

――地域の方々との関係性作りに、どんなことを意識していますか。

(永田) そうですね、まずこの仕事をやってくださいって言われた時に一番に思ったことは、チームを宣伝することはもちろんですけど、その前に、私のことを好きになってもらうことが一番だなと思いました。私を好きになってもらい、チームを知ってもらって、チームを好きになってもらう。それが一番大切だと感じていますし、心掛けています。

 

――広報の仕事は面白いですか。

(永田) 面白いですし、ありがたいと思うのは、スフィーダを応援してくれている人を他の選手よりも、目の当たりにできることです。まだ昇格できてないですが、昇格した時に、喜ばせたい人がたくさんいるので、ここで働いていて、そういう人がたくさん増えたので、それがホントに源になっています。

 

――本日はお忙しいところありがとうございました。

永田真耶(ながた まや)

兵庫県宝塚市出身

1987年11月11日生まれ

スフィーダ世田谷/背番号11

経歴:宝塚・仁川SC→つかさガールズ(現:御所川SSD→北摂ガールズ→三木FCドリームス→神奈川大学→ASエルフェン狭山FC(現:ちふれASエルフェン埼玉)→スフィーダ世田谷

永田真耶オフィシャルブログ
スフィーダ世田谷FC:公式ホームページ

【取材後記】

商店街の皆さんと。

小田急線祖師ヶ谷大蔵駅を降り、オシャレな店舗が立ち並ぶ商店街を通り抜け、閑静な住宅街に差し掛かる頃、スフィーダ世田谷の事務所が現れる。

人口89万人。その中に高級といわれる邸宅に住む人はどれくらい居るのだろうか。立派な佇まいの門前が並ぶ洗練された街並み。初めて訪れる人にとってそんな第一印象を抱かせる。世田谷とはそういう街である。

ところが、隈なく商店街のお店を覗いてみると、その中で働く人たちからは下町さながらの活気と人懐っこさを感じ取ることができる。江戸文化の系譜を継いでいる。これが本当の世田谷の姿なのだろうか。

そんな祖師ヶ谷大蔵はウルトラマンの街として知る人ぞ知る街でもある。この商店街に円谷プロダクションがあったことがその名の由来だそうだ。一見、ウルトラマン一色に映るこの商店街だが、よーく目を凝らしてみると、その各店舗にはスフィーダ世田谷のポスターが貼られている。

この状況こそがスフィーダ世田谷の現在地を表しているようでならない。多種多様なライフスタイルがあり、多彩な娯楽に塗れている。その中から突出することは困難を極める。これがサッカーにまつわる東京23区という大都市が故の悩みかもしれない。

だからこそ必然なのが発信力ではないだろうか。その理由は、地方では考えられない圧倒的なSNSの浸透に他ならない。継続的な発信を行い、より多くの人たちと交流を深める。熱狂的な支持者を一人でも多く惹きつけ、拡散力を増幅させる。SNSならではの伝播を侮ってはいけない。

とかく旧体制に受け入られづらいSNSだが、コミュニケーションを活性化させ、コミュニティを生み出す。ツールが進化しただけでありそこにある本質は変わることはない。今こそSNSと向き合うべきタイミングではないだろうか。

今回のインタビューから感じたことは、スフィーダ世田谷の卓越した発信力である。既存の発信力に更に磨きをかけた時、大都会ならではのスピード感がスフィーダのサポーターづくりに拍車をかけるかもしれない。そんな予感を感じずにはいられなかった。

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