デフサッカーの現状
(深川) 現在は、週末に全国各地でサッカースクールを開催して、サッカーを通じて子供たちの笑顔を増やしていこうという活動と、障がい者サッカー、特にろう者サッカーや脳性麻痺者サッカーに対してアドバイザー的な立場でサポートしています。今回は、ろう者サッカー(デフサッカー)についてお話しさせてください。
――まずはデフサッカーと、その現状について教えてください。
(深川) まず、デフとは音声言語を取得する前に聞こえなくなくなった人、手話を第一言語とする人と言われています。聞こえ方は様々なこと、補聴器をつけることでかなり聞こえの助けになっている方もいます。
デフサッカーは、上記の理由により、公平性を保つために試合中は補聴器を取り、聞こえない状態でプレーすることになります。各地域での社会人リーグなどでもデフサッカー選手たちは補聴器を外している選手が多いです。これは試合中に外れ壊れるのを防ぐためです。
北海道が発祥の地と言われています。現在、障がい者サッカーは※7つの団体がありますが、その中で最も関わりが方が難しいと言われているのがデフサッカーです。
※7つの団体 JIFF ☆アンプティサッカー(切断障がい)☆CPサッカー(脳性麻痺)☆ソーシャルフットボール(精神障がい)☆知的障がい者サッカー☆電動車椅子サッカー☆ブラインドサッカー(視覚障がい)☆ろう者(デフ)サッカー(聴覚障がい者)
なぜ難しいと言われているのかというと、ろう者は見た目が健常者と変わらないからです。その上で、声をかけられても反応できない。例えば後ろから声を掛けられても気付かないとか。
特に健常者側としてなんですが、手話ができないとコミュニケーションが取れないと思いがちなので、互いに距離を置こうとしてしまいます。逆に、ブラインドサッカーですと、目が不自由だとわかりやすいので、手を差し伸べやすい。それだけに普段の生活では困難な事は多いと思われますが。
僕は、デフサッカーと10年くらい関わっていますが、手話ができないのは友さん(深川さん)くらいだと、みんなから笑われています。僕は基本的に誰に対しても高いテンションで表現するタイプです。そんな彼らは人の表情から人間性を読み取ることに長けているので、笑顔で応えてくれますし、本当に助かっています。
――デフサッカーと一般的なサッカーとの違いを教えてください。
(深川) 審判の笛の音(ジャッチ)がわからないだけで、ルールは全く同じです。その中にコミュニケーションの難しさが含まれます。デフサッカーの歴史を辿ると、昭和30年、まだサッカーではなく蹴球と言われていた時代にさかのぼり、北海道の札幌ろう学校で始まりました。
当時、教員をしていらした故綿谷弘一先生をはじめとする、ろう学校にいたサッカー経験者の先生たちにより指導が始まりました。その綿谷先生の熱意と、ろうの子供たちに沢山のサッカーをする機会を与えたいと健常者と同じ大会に出場していたそうです。僕の母校でもある室蘭大谷高校(現北海道大谷室蘭)とも対戦するほどの北海道の強豪校へ。
しかし、彼らは、音が聞こえない、感じ取ることができない事もあるので、笛が鳴ってもプレーを続けてしまう事もあり、当初はアフターファールを取られてしまうケースも多く、汚いプレーが多すぎるという指摘を受けたり、馬鹿にされることも多かったそうです。
現在は主審がフラッグを持って笛と同時にフラッグも掲げて試合をコントロールしています。当時はまだ障がい者サッカーへの理解も薄かった時代なのでその頃の経験が現在に繋がってますね。
――デフサッカーの世界的な位置付けはどうのようになっているのでしょうか。
(深川) デフワールドカップもありますが、実は、パラリンピックでもない聴覚障がい者だけが参加出来る、デフリンピックという世界大会があります。他国ではオリンピックと同等の位置付けをされている国もあります。例えばオリンピックの金メダリストとデフリンピックの金メダリストの報奨金が同額など、場合によってはその後の生活が保証されるとかもとかもあるそうです。
そう考えると、世界的にはデフリンピックをいろんな人たちが応援していますが、日本においては、デフリンピックの存在自体あまり知られていません。数年前は約3%ほどで、昨年はトルコで大会があったんです。しかし、そんな年でさえ国内では10%ほどの認知度と伺っています。
――パラリンピックの出場資格はないのですね。
(深川) 身体的には問題ありませんからね。実は、デフリンピックはパラリンピックよりも歴史は古いそうです。
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