サッカー馬鹿

2018.2.6

なぜこのタイミングで“育成の道”を選んだのか。「女子サッカーの底力は東京オリンピック後に試される。」<ノジマステラ アカデミー総監督兼、ドゥーエ(U-18)監督 野田朱美さんインタビュー>

なぜこのタイミングで“育成の道”を選んだのか。「女子サッカーの底力は東京オリンピック後に試される。」<ノジマステラ アカデミー総監督兼、ドゥーエ(U-18)監督 野田朱美さんインタビュー>

野田朱美さんとの対談は二度目である。初めてお会いしたのは昨年の6月下旬。その頃、野田監督率いる伊賀FCくノ一(伊賀)は苦戦を強いられていた。リーグ前半戦を終え1勝7敗2分、リーグ中断期間に行われたカップ戦も振るわず1勝3敗。このタイミングでのインタビューは心中穏やかであるはずがない。しかし要らぬ配慮は杞憂となる。未来を見据えた彼女の眼差しは自信に満ち溢れていた。しかし、その後の伊賀は上位チーム相手に堂々たる戦いを演じるなど、復活の兆しを見せつつも2部降格を免れることはできなかった。

『逆境を楽しむ。不屈の精神で挑み続ける。だから私は今ここにいる。』

二度目のインタビューに辿り着く経緯は、『ノジマステラ アカデミー総監督兼、ドゥーエ(U-18)監督就任』という驚愕のニュースがきっかけだった。共にしのぎを削ったライバルチームの、しかも下部組織の指揮官としての招へいだからである。なぜこのタイミングで、なぜアンダー世代の育成に携わる決断をしたのだろうか、居ても立っても居られなくなったというわけだ。

今回のインタビューでは、事の経緯を踏まえて、野田朱美の新たなる挑戦に着目してみたい。

私がノジマを選んだわけ

――昨年のインタビュー以降の話をお聞きしたくて。(笑)

(野田) 伊賀(くノ一)の話ですよね。あの時は、いろいろ考えながら挑戦していました。まぁ降格してしまいましたけど。その時も話しましたが、全然負ける気はしなかったし、何度もクラブと話をしながら歩んでいましたが、最終的に自分のビジョンと伊賀のビジョンに違いがあって、私は何年かけても日本一になることが一番やりたいことでしたし、ただ、そうは言っても実際に運営される方々にとっては1シーズンごとが死活問題になってくると思うので、1部残留、また2部に落ちてもすぐに上がるようにという、お互いの想いが平行線を辿るようになりました。

伊賀の特性、土地柄、歴史を考えた時に今ではないと感じました。急ぎ過ぎず、町のクラブとして培ってきた長い歴史をもう少し検証しながらやっていくことの方がいい、そう思い至り退任を決めました。退任を決めたのが先で、ノジマさんには本当に熱心に誘っていただいたというのが一番です。

 

――そういう経緯でここ(ノジマステラ)にやってきたのですね。

(野田) はい。私はベレーザ、メニーナ育ちなので育成を含めてクラブが成り立つという女子の形は大賛成です。ノジマの育成はまだできて5年、今年ようやく中1から入った選手が高3になるという、一貫性が生まれたばかりの新しいクラブで、創設6年という浅い歴史に可能性を感じました。

クラブとしてのビジョンや親会社『ノジマ』本体の経営理念を聞いても、しっかりと夢を持って進んでいるなという印象がありました。この地域ナンバーワンを目指すというのは決して口だけではなく、これだけの施設、環境を作り出すことは本当に素晴らしいです。こうした女子単体のクラブが増えていけば、女子の世界が変わるのかなと思います。

 

――なぜ下部組織の監督に?おそらくこう感じている皆さんが多いと思いますが。

(野田) そうですか、変ですか?どうしてこのカテゴリーなのかというのは、昨年の伊賀での経験がヒントになっています。年齢引き下げ補強をして1年間見てきて感じたことは、20歳前に知っておいて欲しいことが、意外とみんなわかっていないという驚きでした。女子は男子と比べて、元々持っているサッカーに対しての感性が少し低いところがあるので、しっかりとサッカーを教えてあげなくてはいけません。

今回の挑戦は私にとっての原点回帰です。自分が伸びたのがやはり中高生の頃ですから。あの頃がなかったらこの立ち位置にはまずいないですし、代表にも入っていないと思います。10代でベレーザに入り、トップチームの指導者に教わり15歳で代表に入りました。若くして飛び込んだ厳しい世界、その経験がずっと宝になります。私は指導者としてそれほど長い経験はありませんが、私自身が培ってきた知識と経験がメソットになります。目の前の結果にとらわれすぎず、プロセスを大事にすること。そこを伝えていきたいですね。

世界で戦える選手を育てたい

――メソットっていう言葉が出てきましたが、どんなことを体系化しているのでしょうか?

(野田) 練習メニューも私はデイリーで変えます。指示も細かいですし、頭も使う。簡単に言うと「止める」「蹴る」。風間八宏さんじゃないですけど、何をもってして「止める」「蹴る」なのかという本質の部分を長期的に継続することですね。

 

――その先にある姿をイメージできているのでしょうか。

(野田) 世界基準ですね。もちろんトップに上がってなでしこリーグ1部で活躍してもらいたいですけど、世界で戦えるような選手になって欲しいです。ユース年代はプレーと共に精神的にも自立を促せる歳なので、早速ウォーミングアップも自分でやってもらっています。そのくらい自分でやれないと上にはいけないし、練習も大人がやるような内容と、一方では基礎を。基礎は今しかできないですしね。

 

――世界で戦える選手を育てたい。野田さんらしいですね。

(野田) 確かにこのカテゴリーの監督は初めてですけど、ベレーザ(日テレ)に所属している代表の子たちは高校生の時には既にトップチームに所属していました。だから違和感は全くありません。高校生はもう大人にカウントされますから。

 

――たしかにそうですよね。

(野田) そうですよ。岩渕(真奈)は高3で制服着て来ていましたし、籾木(結花)や田中美南もメニーナから上がってきたところでしたから。男子と違い、このカテゴリーを育成に分類してはいけません。本来なら高校生から数名はA代表に入らなければ世界に追いつかないと思う。澤(穂希)しかり、丸山桂里奈も安藤梢もそうですよね。

 

――Jリーグとは違うということがよく分かりました。このタイミングで、このカテゴリーの指導にあたるということは、東京オリンピックを意識しているのでしょうか?

(野田) 逆ですね、東京の後です。これまでの歴史を振り返っても、女子サッカー人気は浮き沈みが激しい。東京オリンピックは当然盛り上がると思いますが、問題はその後です。東京の後は必ず落ちるということです。その時をいかに耐えるか。そこをしっかり見据えていきたい。世界一を獲ってもここまで落ちるのですから。

 

――なるほど。相変わらず世界を見ているということですね。

(野田) 世界一になった時点で、どうして強くなれたのか、きちんとした検証がなされるべきでした。やはりその大きな要因は、当時活躍していた選手たちは一様に、中学時代にINACの松田(兵夫)さんやベレーザの森(栄次)さんといった一流の指導者に教わっていたのです。育成年代でしっかりとサッカーを教わることができれば、世界に通用すると私は考えています。

私のミッションはアカデミーの活性化

――黎明期を経験してきた野田さんならではの見解ですね。

(野田) ここ(ノジマ)には素晴らしい環境があります。そこにベレーザ、メニーナのような育成の仕組みを構築できれば、スカウティングに苦労することがなくなります。毎年のように能力の高い選手がトップチームに上がる。それがチームにとって一番望ましい体制です。子供たちの希望になることができると思います。

今、社会貢献の一貫として育成に力を入れる企業が増えています。それに地域貢献を掲げなければ地域の方々になかなか受け入れてもらえません。サッカークラブができる一番の貢献がスクールです。願わくばこの近隣の子たちがトップで活躍することが最も理想的ですね。

 

――野田さんを招へいした狙いは、アカデミーの活性化ということですね。

(野田) アカデミーを強化したいのは当然ですよ。神奈川県は素材の宝庫ですから。おそらく日本一だと思います。歴代の代表選手も数多くいます。上尾野辺(めぐみ)、大野(忍)、杉田(亜未)らはこの辺りの出身ですし。だからセレクションに応募する子供も多いんです。ベレーザなんてほとんど神奈川の子たちですしね。現状ではメニーナが一番に選ばれますが、その優先順位をひっくり返したいというのが一番です。そのためには、やはりトップチームが強くなることが近道だということに間違いありません。

 

――やはり気になるのが、GM兼トップチームの監督である菅野(将晃)さんのカラーと野田さんのカラーとの違いです。

(野田) 菅野さんが一から作り上げてきたチームですからね。菅野さんのことはすごく尊敬していますし、学ぶことも多いと思いました。

菅野さんのカラーに私のカラーが混ざったら、また新たな道も開けるかなと。私は未知の世界に飛び込むことが得意ですから。(笑)女子委員長(JFA)の時も、伊賀(くノ一監督)の時も、ベレーザ(日テレ監督)も。変化を楽しめる体質だと思います。

やってみないとわからないですからね。今回はそれほどトップチームに関わるわけではありませんが、結構必死です。生半可な姿勢でアカデミーは通用しませんからね。かなりのパワーが必要です。

 

――本日はお忙しい中ありがとうございました。

野田朱美(のだ あけみ)

1969年10月13日生まれ

出身地:東京都狛江市

現役時代のポジション:MF

利き足:右足

 経歴:読売サッカークラブ女子・べレーザ(1989~1991)→読売日本サッカークラブ女子べレーザ(1992~1993)→読売西友べレーザ(1994)→宝塚バーニーズレディースサッカークラブ(1995~1996)通算:127試合75得点

監督歴:日テレべレーザ(2010.11~2012)→伊賀フットボールクラブくノ一(2016.5~2017)→ノジマステラ アカデミー総監督兼ドゥーエ(U-18)監督(2018〜)

代表歴:76試合出場24得点(1984~1996)

取材後記

大らかでいて、ときおり鋭い問題提起を投げ掛けてくる。インタビュアーにとって野田朱美さんは実にオモシロイ人物である。

プロスポーツ選手、あるいは関係者という立場上、大抵のインタビューは、その場に相応しい言葉に終始するケースが多い。

勝てば「サポーターのおかげである」負ければ「気持ちを切り替えていきたい」そして次は「一生懸命頑張ります」という具合に。

このような決まり文句を、無論、読者の皆さんは望んではいない。インタビュアーとして如何に目の前の人の思いの丈を引き出すか。そこが腕の見せ所でもある。

しっかりと自分の意見を持っている。それでいて全ての反響を受け入れる覚悟がある。野田朱美さんにプロフェッショナルを感じずにはいられない。

SNSが日常化し、一般人が容易に意見できるようになった。何処の誰だかわからない輩が世の中に物申せる時代である。研ぎ澄まされた意見は問題提起となり瞬く間に拡散し反響を呼ぶ。その影響力は炎上商法といった画策を成立させてしまうほどである。その反面、著名人にとって意見しづらい環境になったといえよう。

そういったことから、どの業界においても反響を恐れる傾向になってしまっている。反響の失墜は業界の衰退と同義であることも知らずに。

そんな野田朱美さんがアンダー世代の育成に携わるというニュースは、女子サッカー界にとって大きな変革になる可能性をはらんでいる。

「世界で戦える選手を育てたい。」野田朱美さんが思い描く選手像には、おそらく世の中に高い影響力を発揮できる大人になって欲しいという願いも込められているのではないか。そんな妄想を膨らませながらNFP(ノジマフットボールパーク)を後にした。

<了>

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