サッカー馬鹿

2018.5.2

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それでもボクはロシアワールドカップへ駆けつける vol.2

それでもボクはロシアワールドカップへ駆けつける vol.2

vol.1のつづきです。

<それでもボクはロシアワールドカップへ駆けつける vol.1>

と合わせて読んでいただけると嬉しいです。

1998年 フランスワールドカップ

我らが日本代表初のワールドカップ参戦。グループリーグ初戦の相手は言わずと知れた優勝候補アルゼンチンだ。はじめての世界の舞台で、あの憧れの選手(ディエゴ・マラドーナ)がプレーしたチームと対戦できるなんて。ボクは居ても立っても居られなかった。

しかし、どうやっても観戦チケットを手に入れることはできなかった。聴くところによると、現地入りした日本人ツアー客ですら、多くの人がチケットを手にしていないという、いわゆる”チケット問題”が勃発しているというのだ。

アルゼンチン戦の観戦を諦めたボクは、第2戦(クロアチア戦)に照準を定め試合会場のフランス西部ブルターニュ半島南東部の街ナントに入った。チケット獲得法はひとつ、現地のダフ屋から出来るだけ安く手に入れるだけ。こうしてダフ屋との駆け引きが始まった。

チケット希望者が殺到すれば値段が上がり、希望者が減れば値段が下がる。デイトレーダーさながらの駆け引きの中、ボクが手に入れた観戦チケットは確か7万円ほどだったと記憶している。せっかく現地まで来ているのだから、背に腹はかえられない状況の中、試合開始前ギリギリの入場にもかかわらず空席が目立つスタジアムに憤りを感じずにはいられなかった。

白と赤の市松模様の特徴的なデザインのユニフォームは今でこそお馴染みだが、旧ユーゴスラビアから独立後初のワールドカップに参戦したクロアチアの実力は異次元だった。

結果を先に言ってしまうと、ダヴォール・シューケルのゴールでクロアチアに敗れた日本は、先のアルゼンチン戦、後のジャマイカ戦にも敗れ3連敗で大会を去った。クロアチア戦後に語った岡田監督の言葉「差が遠い」の一言が全てを物語っていた。世界との差は果てしなく遠い。

2002年 日韓ワールドカップ

待ちに待った自国開催のワールドカップは、日本と韓国の共催という異例のかたちで実現した。自国開催という後押しもあり、この時の日本代表の人気は最高潮だった。くじ運のないボクが大人気の日本戦のチケットを手にできるはずはない。パブリックビューイングで声援を送ることが精一杯だった。

それでもなんとか1試合だけ観戦することができた。札幌ドームで開催のドイツvsサウジアラビアでした。室内観戦という違和感に加えて8-0という大差は、良くも悪くもボクの記憶から消えることはないだろう。チケットを手に入れてくれたドイツ時代の友人に感謝である。

初戦のベルギー戦でドロー、つづくロシア戦でワールドカップ初勝利を収めた我らが日本代表の快進撃が始まる。迎えたグループリーグ最終戦に臨んだ日本は、森島 寛晃の右足と中田 英寿のダイビングヘッドでチュニジアに快勝、史上初の決勝トーナメント進出を果たした。

共催相手の隣国、韓国の快進撃は日本を大きく上回ることになる。決勝トーナメント1回戦でトルコに苦渋を味わった日本に対し、韓国はイタリア、スペインと強豪を退け(かなり懐疑的な判定が続出したが)史上初のベスト4という快挙を成し遂げた。

横浜国際総合競技場(日産スタジアム)で行われたブラジルvsドイツの決勝戦は、オリバーカーン擁するドイツの鉄壁な守備をこじ開けたロナウドの2ゴールでサッカー王国ブラジルが5度目の優勝を果たした。

2003年 アーセナル/ハイバリー

再び世界のサッカーシーンに魅せられたボクは98年以来の渡欧を決意した。お目当は毎週末かじりつくようにテレビ観戦していたアーセナルの生観戦である。当時すでに取り壊しが決定していたアーセナルの本拠地”ハイバリー”をどうしてもこの目に焼き付けておきたかったのだ。

セインツ(サウサンプトン)戦のメンバーは、GKイェンス・レーマン、センターバックはソル・キャンベルとコロ・トゥーレ、サイドバックは右にローレン、左にアシュリー・コール、ダブルボランチはキャプテンのパトリック・ビエラ、その相棒にジウベウト・シウバ。そして両翼にフレドリック・リュングベリとロベール・ピレス。トップ下にはデニス・ベルカンプに代わり、この日がプレミアデビュー戦となったホセ・アントニオ・レジェス。トップには不動のエースストライカー ティエリ・アンリが入った。

まるでサッカーゲームを眺めているような、小気味よくつながるパス、そして流動的な動き。終始試合を支配したアーセナルが盤石の勝利、奇しくもこの試合がティエリ・アンリのプレミアリーグ100ゴール奪取の記念試合となった。

日韓ワールドカップを契機に海外移籍を果たした日本人選手の活躍も後押しし、サッカーファンの視線はこの時は完全にヨーロッパに向けられていた。

2006年 ドイツワールドカップ

ドイツへの旅支度はお手の物だ。航空券も宿の手配も列車のチケットも、ドイツ在住時代の経験を活かし全てが安価で蹴りが着く予定だった。ところがやはり今回もチケット問題が付きまとう。

Yahoo!オークションでかろうじて入手したチケットは、ポーランドvsエクアドル(ゲルゼンキルヘン)トリニダード・トバゴvsスウェーデン(ドルトムント)メキシコvsイラン(ニュルンベルク)そして我らが日本代表のグループリーグ初戦オーストラリア戦の4枚。

思い返せばチケット問題を除けば、これほど快適な観戦旅行はない。インフラの整備もしっかりしているし、安全だし、サポーター同士の国際交流も楽しめるし、サッカーの合間に観光も楽しむことができる。ワールドカップの醍醐味が詰まった1週間だった。

ところが肝心の試合がいけなかった。ドイツワールドカップに挑んだメンバーは史上最強の呼び声高いジーコジャパン、前大会の成績(ベスト16)以上の結果を期待していたのはきっとボクだけではないだろう。

中田 英寿、中村 俊輔、小野 伸二ら黄金世代を擁したスター軍団は、オーストラリア相手に快調の滑り出しを見せた。前半26分、右サイドでボールを持った中村 俊輔がクロスを放つ。ゴール前に飛び込んだ高原 直泰が相手GKと交錯するもボールはそのままゴールに吸い込まれ、ラッキーな形で待望の先制点が生まれた。

試合はそのまま終盤を迎え、日本の勝利を疑う者はいなかった。ところが84分に一瞬の隙を突かれティム・ケーヒルに同点ゴールを与えてしまう。灼熱のピッチに足が止まってしまった日本は、その後89分に、またもやティム・ケーヒルにゴールを奪われ土壇場で逆転を許してしまう。さらにアディショナルタイムにジョン・アロイージに駄目押し弾をぶち込まれ万事休す。

忘れもしない試合終了間際の魔の6分間、日本は苛酷な現実を突きつけられた。日本はグループリーグ最下位で大会を去った。

〈つづく〉

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