サッカー馬鹿

2018.7.26

【インタビュー・対談】元川崎フロンターレ、元日本代表DF 箕輪 義信氏との対談風景をダイジェスト動画でアップしました。

【インタビュー・対談】元川崎フロンターレ、元日本代表DF 箕輪 義信氏との対談風景をダイジェスト動画でアップしました。

 
こんにちは サッカーライターの勝村 大輔(@gunners5050)です。昨夜(7/26)にインタビューさせていただいた元川崎フロンターレ、元日本代表DF 箕輪 義信さんとの対談風景をダイジェストにまとめた動画をYouTubeにアップしました。
 
対談は盛り上がり約1時間にも及びましたが、ギューーっと凝縮して、頑張ったのですが、4分30秒ほどの動画に仕上がっています。本当は2分程度に抑えたかったんですけどね。内容が濃すぎて無理無理。
 
ぜひご覧くださいね。

箕輪さんのキャリアのスタートはジュビロ磐田でした。当時のジュビロは鹿島アントラーズと並んで二強時代、2トップは中山 雅史と高原直泰、MFは藤田 俊哉、福西 崇史、奥 大介、服部 年宏、その真ん中に名波 浩。通称:N-BOXの名でサッカー界に轟かせていました。そしてセンターバックには鈴木 秀人と田中 誠。大卒ルーキー箕輪 義信の出番は訪れなかった。「紅白戦では相手が日の丸ですから。」と語る箕輪だが、一年でも長くプロとしてキャリアを過ごしたい、そのためには経験を積むことが必要。箕輪は自らの故郷のクラブ、川崎フロンターレへの移籍を決意します。
 
J2降格が決定的となっていたシーズン終盤での移籍に「なぜこのタイミングで?」という声も多かったそうです。少しでも早くチームに溶け込んで再昇格を目指したい。箕輪の想いとは裏腹にチームの雰囲気は降格チームということもあり、あまり良くはなかったそうです。
 
移籍から3年目、石崎監督と共に上位に食い込むも、土壇場で念願の昇格を逸する。「あの負けがあるから今がある。」箕輪の言葉どおり、翌年の川崎フロンターレはJ2を独走、破竹の勢いでJ1復帰を果たした。
 
怖いもの知らずで挑んだJ1復帰の一年は、8位で終えるも、伊藤宏樹、寺田周平とともに”川崎山脈”の通称でJ1を席巻。その活躍が認められ、遂に日本代表選出を果たす。ところが、合流間際に突発性難聴が発症。断念せざるを得なかった。
 
それでも箕輪は再度代表入りを果たす。代表キャップはこの一度きりとなるが、当時、交代出場したウクライナ戦でPKを献上してしまう。この一点でチームは敗れてしまうが、当時の代表監督ジーコは箕輪を咎めることはなかった。
 
キャリア終盤は怪我に悩まされながらも、強靭なフィジカルを持って再起に成功する。川崎フロンターレからコンサドーレ札幌と渡り歩きプロのキャリアを終えた。現役最後の試合(ジェフ千葉戦)でキャリア初のレッドカードを掲示されるなど記憶に残る選手として今もなお語り継がれている。
 
対談の中では当時を振り返りながら、その時の心境を吐露していただいた。YouTube内でも触れていますが、キャリアの中でもっとも影響を受けた人物に前田 浩二氏の名を挙げています。天才は去るのが早い、お前は上手くはないが、一年でも長くプレーしろ。結局、それが勝ちなのだからと教わったというエピソードが箕輪さんの生き様を象徴してるようでならなかった。
 
現在は、神奈川県立菅高校の教員としてサッカー部を指導。自らの経験を後世に伝えている。おそらく箕輪さんがもっとも伝えたかった部分が彼が大切にしている”指導論”ではないかと感じた。自身の経験からも、一年でも長くサッカーに携わって欲しい、そのためには高校サッカーで燃え尽きずに大学に進学して欲しい。サッカーを通じて社会に通用する人材を育てたい、など持論を語りながらも、人材が育たないのは、良し悪しをあやふやにしてしまう大人の責任であり、自ら判断できない当人の問題であるとつづける。
 
包み隠さず熱い想いを吐露してくれた箕輪さん、その熱意はとても興味深く、意義が高い。良記事が書けそうな予感がします。記事はまだまだ時間を要しますので、まずはYouTubeをご覧ください。そして一人でも箕輪さんの考え方に同調する若者、あるいはおやごさんが一人でも増えることを願わずにはいられない。記事のリリースも楽しみにしていてくださいね。

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