サポーターに学ぶ”応援流儀” ② その愛はホンモノか?
ボクは『サポーター論』という自論を提唱しています。あくまでも自論ですから、個人的な意見だと捉えてほしい。正解かどうか分からないし、異論を唱える人も少なくないからです。
ここにあるサポーターとは膝や足首に巻くサポーターではありません、愛するクラブを熱烈に応援(サポート)する人たちの総称です。バスケッボールの世界ではブースターと呼ぶらしい。
“阪神ファン”のようにプロ野球の世界ではファンという言葉にも置き換えられますが、サッカー好きのボクは敢えて”ファン”と”サポーター”を言い分けている。
「ファンとサポーターは違う」
サッカーの世界ではこう捉えるのが一般的です。よく試合後のインタビューで選手や監督が「ファンとサポーターの皆さま」という風に言い分けてあいさつするほどです。
ファン→試合観戦を楽しむ人
サポーター→特定のチームを応援する人
これをビジネスに置き換えた場合、
ファン→商品やサービスを楽しむお客さん
サポーター→特定のお店を応援するお客さん
という具合になる。
サポーターに芽生える当事者意識
以前、この考え方に気がついた出来事がありました。ボクは毎週末、同じバーに通っていました。そこのマスターが大好きで、お店にかかっている音楽の趣味も合うし、店内の雰囲気も気に入っている、いつかガールフレンドを連れてこよう。ボクはいつもそう思っていた。
あ、当然、お酒の味はその辺のお店と大差ありませんよ。だって注文するのはいつも生ビールだから。このお店の席数は8席、ボクは大抵おひとり様でしたし、時間帯的にも満席になることが少なかったので、いつもふらりと訪れていた。
そんなある時、いつものように入口の扉を開けたら、なんと、その夜は6席が埋まっていました。ボクはおひとり様でしたので問題なく席に着くことができました。そしていつもどおりに生ビールを飲み干し、もう一杯注文しようとしていたその時、ひと組の若いカップルが扉を開けて店内に入ってきたのです。
「ごめんなさい、今いっぱいなん・・・」と言いかけたマスターを制するように、ボクは思わず「今出るところだから、ここ空いてるよ。」と言って彼らに席を譲りお店をあとにした。
一瞬の出来事でした。この時のことを後になって振り返りました。なぜボクは席を譲ったのか?その答えは明白でした。このお店のことを、ここのマスターのことを応援しているから。
ボクは無意識のうちにこのお店に対して”当事者意識”が働いていたのだ。もしボクが傍観者だったら、おそらく知らん顔を押しとおすか、あるいは、睨みをきかせていたかもしれません。若いカップルというだけで気に入らないからね。(笑)
お店の財産はお客さんとの関係性
好きなチームのために考えて行動する。サポーターはチームに対し当事者意識を持っています。お店や会社、あるいは一個人でも、こうした応援者の存在があるからこそ永続的に繁盛できる。お店の財産は”お客さんとの関係性”なのです。
商品やサービスを楽しんでもらうだけはなく、お店を好きになってもらおう、応援されるお店を目指そう。これがボクが提唱する『サポーター論』です。
当事者意識は所有者意識ではない
さて問題はここから。
ある日、たまに訪れる居酒屋の女将さんがこんなことを言っていた。「常連さんを大切にしたい気持ちはあるけど、新規のお客さまが寄り付けない雰囲気があって」たしかにそんな雰囲気があった。「オレは上客だ」と言わんばかりに我が物顔で酒をあおる客の姿に閉口してしまった経験がボクにもあった。
果たしてこのお客さんはこのお店のサポーターだろうか。当然そうではありませんよね。彼らに働いているのは当事者意識ではなく所有者意識、あるいは、オレたちがこのお店を支えているんだという過剰な自意識である。
残念ながらサッカーの世界でも似たような光景を目にすることがある。チームを愛するばかりに熱狂的になる。コミュニティーの結束が高まるにつれて、排他的な行動を起こしてしまう。チームへの忠誠心のはずが、いつのまにか自らへの忠誠心を強要するようになってしまう。クラブにとってこれほど迷惑な話はない。
あ、もしこのお客さんがお店の売上の全てを賄っているとしたら話は別です。それならばいっそ自分のお店を開店した方が良い。
チームとサポーターは相思相愛
彼らはサポーター(応援者)ではないストーカー(つきまとい)です。
ストーカーとは好きな人にされて嬉しいことを、好かれてもいない人がする行為。好かれていると勘違いしている人を指します。善かれと思い込み行動している。その行為は本当に相手のためを思っての行動だろうか。
チームとサポーターの間には”相思相愛”の関係で結ばれています。そこにある”愛”は互いに見返りを求め合わない無償であるはず。まして愛の深さを競い合うものではない。
そこにある愛は美しい、しかし相手を思いやらず、愛を競い合う姿は気持ち悪いものだ。なぜならそこに相手の姿がないからだ。
そこにある愛はホンモノだろうか。
〈了〉
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Categories & Tags