サッカー馬鹿

2018.2.17

「今あるサッカー界の常識の逆を行く」J3 藤枝MYFC 元社長 小山 淳は”破壊者”か”革命家”か <インタビュー&取材後記>

「今あるサッカー界の常識の逆を行く」J3 藤枝MYFC 元社長 小山 淳は”破壊者”か”革命家”か <インタビュー&取材後記>

はじめてのコンタクトは昨年(2017年)5月まで遡る。かねてから興味があった藤枝MYFC 小山淳社長のインタビュー申請だった。

J3リーグ発足と同時にJリーグ加盟を果たした藤枝MYFCは、藤枝市、島田市、焼津市、牧之原市、吉田町、川根本町に本拠地を置くサッカークラブ、”サッカー王国 静岡県”において、清水エスパルス、ジュビロ磐田に次ぐ3つ目のJリーグクラブとして知られている。(2017年に4つ目のJリーグクラブにアスルクラロ沼津が加わった。)

2009年7月、クラブ創設と共に代表取締役に就任した小山氏は当時32歳。社会人リーグからJリーグに導いた若き社長の経営手腕に迫ってみたかったからだ。

対談に備え、小山氏へ3つの質問を用意していた。

1つ目は「なぜその若さでサッカークラブ創設という決断に至ったのか。」サッカーどころ藤枝で育った小山氏は、13歳以下の日本代表副キャプテンとして世界少年大会で優勝、U-15日本代表に選出。中田英寿氏とプレーするなど、アンダー世代からエリート街道を突き進んできた。しかし、早稲田大時代に大怪我により選手生命を絶たれることになる。その後、何に感化されどう行動に移されたのか。小山氏のこれまでの軌跡を辿る。

2つ目は最大の謎である”MYFC”という聞き慣れないクラブの名称に迫るものだ。MYFC(My Football Club)とは、ネットオーナーたちによって取り交わされる議論・投票により、クラブ運営の決定事項を可否するという仕組みである。この「ネットオーナーシステムの稼働状況について。」である。

3つ目はJ3リーグ初年度の2014年シーズンを11位で終え、その後、順当に勝ち点を積み上げ昨今の戦績は2年連続7位と中位につけている。地域リーグからJリーグへ、わずか5年間で導いた「強化方針について」である。

ところが日程調整に四苦八苦していた矢先に、驚愕のニュースが飛び込んできた。それは『小山社長解任 取締役就任』という報道だった。

対談が実現したのは衝撃の報道から3ヶ月後、品川のホテルで対談は執り行われた。新たに加えることになった「小山氏の今後の活動について。」この4つの質問を前に、小山氏は静かに語りはじめた。

 

――昨年10月に社長退任(取締役就任)というニュースを拝見しましたが、小山さんがこれまで培ってきた藤枝MYFCでのエピソードや今後の展開についてお話を伺っていきたいのですが、まずは退任を決めた心持ちをお聞かせください。

(小山) ある意味、J3参入に関しては、リーグ発足と同時に昇格を果たせたというラッキーパンチもありましたが、そこまでクラブを持っていくことができました。この判断(社長退任)に至ったのは、僕自身が経営責任者をはじめ、何から何までやる必要性がなくなったということとスタジアム改修への地域との連動に適した藤枝の大きな企業から引き受けたいとお願いして来てくれたこと。また、ここ(藤枝)で鍛えられたスタッフが受け継ぐという形ですね。

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