サッカー馬鹿

2018.10.24

日本代表から高校教師へ。サッカーの可能性に情熱を捧げる。そのために公立高校の監督になった。〈元日本代表/元川崎フロンターレDF 箕輪 義信氏インタビュー〉

現役生活を終え公立高校の教員へ

――次に箕輪さんの現在についてお伺いしていきたいのですが、指導者や関係者としてクラブに残るという選択ではなく、公立高校の教員のかたわらサッカー部の指導に当たっているそうですが、なぜこの道を選んだのでしょうか。現在お勤めの学校は、

(箕輪) 川崎市にある神奈川県立菅高等学校です。

 

――公立高校を選んだ理由をお聞かせください。

(箕輪) 一つは家が裕福ではなかったこと。親がすごく頑張ってくれて僕に教員免許を取らせてくれました。川崎から移籍する時に結構覚悟を迫られました。コーチとしてチームに残るのであれば、それと引き換えに色んなものを我慢しなければいけないと代理人にも言われていましたが、僕は元々教員になると決めていた人間ですので、それよりも沢山いろんな経験をしたいと、じゃあ移籍しなよということで北海道に行ったという経緯がありました。それに元サッカー関係者で私立学校に就く方は結構多いですが、試験を突破して、公務員としてサッカーの指導をしていくという、元々の目標に立ち返ることにしました。

目的としては、金銭的にも厳しいなどの理由で私立に行けない、それでももう一度夢に向かってチャレンジしたいという選手を受け入れたい。そういう新しいスタンスと門があってもいいのではないか、僕のような経歴を持つ先生が公立高校にいたら面白いのではないか、そう思いました。

 

――神奈川県は桐光学園や日大藤沢など、ほとんどの強豪校は私立ですよね。

(箕輪) 神奈川県は校数が多く、200校近くありますが、まずはその中から40チームに残ること、それまでの道のりを2次予選と言うのですが、そこまでいくのが公立高校の夢というのが現状です。公立高校としてはそこまで辿り着くことに一つの価値があるわけですが、ある学生がこう言っていました。「2次予選にいったからなんなんですか」と。そこに何の意味を持つのか。消化しきれていない学生を見るのがとても悔しくて。もしかしたらスポーツの価値が落ちているのかもしれないと、そう思います。

やはり誰でも辛いことは嫌だし、自分を見つめ直して新しいことをするのもちょっとしゃくだし、楽しいことは東京行けばいっぱいあるしバイトもできる。辛いのはちょっと割に合わない。ただいつも言っているのは“スポーツは人間力を高める”もの。勉強したければすればいい、でも社会に出て見られるのは知識力ではなく人間力ですから。なぜサッカーなのかというと組織スポーツだからです。中学校までは子供のサッカーでいいのかもしれませんが、高校では組織というものを意識してもらっています。

レベルの高いところでサッカーがしたい。いずれ自分もそこにいきたいと思いますが、公立高校にはセレクトする資格はありません。してはいけないのです。だから門がずっと開きっぱなしで、どんな子が入ってくるのかわかりません。気概はある、でも現実は厳しかった。そういう生徒を辞めさせないで、どうやってサッカーを通じて世に出していくのか。

昨年、大量に部員が辞めました。実は先ほど難しいと言った2次予選を突破したのですが、これから先、もっと厳しくなるのではないかと言う理由で残ったのは3年生が5人、最終的な部員数は11人となりました。辞めた子たちはどこかで楽しくサッカーをしているそうですが、ついてきてくれた子たちは辛かっただろうけど、こんなに人が変わるかというくらいに成長しました。

 

――どうしてこのような事態になったのでしょうか。

(箕輪) それは僕が厳しいからでしょう。でもそんな場所があってもいいと思います。選択は自由ですから。やりたくなければそれでもいい、求められるなら100%。「もうオレそこまではいいっす」これが現代ですよね。それでも向かってくる子はいる。

僕がやりたいことは高校生までに原理原則を徹底的に教えること。今回のワールドカップがおもしろかったのは戦術と戦い方。何と何で何を計算したらあそこまで行き着くのか。どうしたら日本のサッカーが強くなるのか。彼らにはそういう説明もするし、その上で今何ができるのかを考えるわけです。

逆転を起こしたいんです。でも決して高校サッカーで逆転を起こしたいわけではありません。一番輝いてほしい場所は大学です。大学でサッカーをやってほしい。上級カテゴリーに入って、長く、楽しく、自分の意思でサッカーをしてほしい。それを今頑張って伝えています。

フェイスブックじゃないけど、いいね、いいね、すごくいいね、という風に育てられた子たちが今ここにいますが、彼らは本当にそれでいいのか考えられません。一つは大人の責任です。しっかりとジャッジすること、白黒つけて、良いと悪いを明確にしていない。もう一つはこれほどメディアが発達しているのに、それらを鵜呑みにして、何の疑問を持たないのは君のせい。良い気持ちになびかずに、本質を見ることが大切だと思います。やはりそこを知っていて社会に出るのと、知らずに社会に出るのとではその後が大きく変わってきます。

 

――それは箕輪さんご自身の経験からきているのでしょうね。

(箕輪) 高校時代の3年間は基礎ばかりのトレーニングで本当につまらなかった。ところが大学に入ってから、習志野や前育(前橋育英)といった名門高校出身の選手に混じってプレーしても遜色なかった。そういった経験とこれまで培ってきた知識をしっかりと伝えたいし、一人の大人として責任を伝える、グラウンドの中で○と×はしっかりつける。それには自信があります。

サッカーの特性上、個人の判断に任せるべきという考え方もありますが、以前、ある格闘家の人に『守破離』という言葉を教わりました。まずは師の教えを守り、型を覚えること。その型を覚えた上でプラスαつけて創作する。最終的に型を破り、自らが創造して師を超えていくこと。これを高校の3年でやっていきたい。

一昔前はユースに上がれなかった選手は負け組だと言われていましたが、今はジュニアユースに入れなかった選手でも負け組と呼ばれるそうです。どんどん若年化している、見切るのが早過ぎるんです。だからもう高校に入る前から選手自身が見切ってしまっていて、楽しい方がいいじゃん、別に上を目指しているわけじゃないし、みたいな感じになってしまう。

ユースに上がる組と高校組という様相になってしまっていますが、ユース組は決して勝ちではなく、ユースの選手も当然、誰もがトップ昇格できるわけではありません。ユースの選手の大半は大学に進学します。高校の選手も大学に進学する。実はもう一回ここでユースの選手と勝負するわけです。

 

――最後に読者に向けてメッセージをお願いします。

(箕輪) サッカーには、人をまとめたり、そこに向かって議論し合ったり、人を動かす力があると思っています。僕はサッカーの可能性をすごく感じています。自分がそうであったように、高校時代まで何も選ばれてない選手でも、必ず可能性があります。だから早い段階で諦めないでほしい。僕はそういう選手を救うために公立高校の監督になったわけで、何かあったら相談しに来て欲しいですね。

箕輪 義信(みのわ よしのぶ)

1976年6月2日生まれ

神奈川県川崎市出身

現役時代のポジション:DF

 経歴:1999-2000(ジュビロ磐田)→2000-2008(川崎フロンターレ)→2008-2010(コンサドーレ札幌)現役引退後、神奈川県立菅高等学校の教師のかたわらサッカー部監督を勤める。

★対談の模様はダイジェスト動画をご覧ください。

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